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2017年12月30日07:35

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錆び釘

 年末になると、母親は「錆び釘はどこだったかしら」と探し回っていました。黒豆を煮るのに入れるためです。
 そういえばその頃「大工は口に釘をくわえるが、唾で濡れたら釘が錆びて滑りにくくなるからだ」と教わった覚えがあります。ところで、打ち込まれた釘が錆びてしまったら、強度が落ちてかえって釘は利かなくなるのではないでしょうか? そもそもステンレスの釘って、そんなに簡単に錆びるのかな?

【ただいま読書中】『集団就職 ──高度経済成長を支えた金の卵たち』澤宮優 著、 弦書房、2017年、2000円(税別)
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 昭和30年、日本の高校進学率は51.5%、大学進学率は10.1%で、進学しない人は就職をしていました。昭和35年池田首相は「所得倍増計画」を発表、39年東京オリンピック、就職希望者は「金の卵」と呼ばれ、企業からは引っ張りだこでした。
 「集団就職」と言うと「東北」というイメージを語る人が多いようですが、これは「東京」限定の話です。集団就職は全国でおこなわれていましたが、西日本の人間は阪神や名古屋へ、東日本の人間は京浜へ、と見事な棲み分けがおこなわれていて、東京しか見えない人には「集団就職=東北」というイメージが刷り込まれた、ということなんだそうです。
 「集団就職」では「就職する人」「迎える企業」が注目されますが、本書では「送り出した教師たち」も紹介されます。彼らの中には「出征する兵士を見送る気分」で卒業生を送り出している人たちがいたのだそうです。「戦争」がまだ「現役」だった時代だったんですね。
 集団就職列車の写真でもありますが、学生服やセーラー服がぎゅう詰め状態です。もう少し後の時代だったら「修学旅行列車か?」と言いたくなるかもしれません。ただ、修学旅行と決定的に違うのは、車内に笑顔が欠乏していることです。
 労働の厳しさ、低賃金、ホームシックなどで、仕事が長続きする人は少数派でした。本書にはその少数派が次々登場しますが、大体の人が「皆次々やめていった」と言っています。企業は「金の卵」を大量に採用して次々使い捨てていくので、結局又大量に採用せざるを得ない、という循環だったようです。そういった人たちの苦労によって「日本の復興」はおこなわれていきました。著者は取材依頼を次々断られているのだそうですが、「語るべきことはない」というよりも「つらすぎて思い出したくない」人がとても多いのかもしれません。
 戦前に朝鮮や中国から、強制ではなくて「一旗揚げよう」と自発的に来日した人たちも多くいたはずですが、彼らもまたそういった「思い出したくない辛い生活」をしていたのでしょうね。
 沖縄にはまた別の話があります。米軍占領下だったせいで「英語を喋るんだろう」と馬鹿にされ、「英語では生活していない」と言うと「英語も喋れない」とまた馬鹿にされる、というハラスメントを複数の人間が受けています。「沖縄に対する無知」は、今も昔も、なんですね。
 集団就職や年季奉公では、前借り金が親に払われていました。戦前の女郎奉公と同じです。だから勝手に仕事を辞めるわけにはいきません。前借り金を返してやめるか、脱走するか。15歳にはきつい人生の選択です。
 集団就職は、日本の復興の原動力でしたが、同時に過疎過密の原因だったのかもしれません。その結果が現在の日本です。当時と違って「立身出世」は日本人の共通の価値観ではなくなりましたが、現在の日本ではどのような動機で人々は就職をしている(あるいはしないことの決定をしている)のでしょう?


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