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2017年12月18日21:28

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別の視点

 昨日の『空の先駆者 徳川好敏』の主人公自身の著作です。「本人の証言」は「日本の空の開拓」について、また別の面を見せてくれるのでしょうか。

【ただいま読書中】『日本航空事始』徳川好敏 著、 出版協同社、1964年、450円
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 日本における動力飛行機の初飛行は明治43年ですが、著者は「日本航空の曙」を西南戦争まで遡ります。田原坂の戦いで攻めあぐねた官軍は気球で偵察することを考え、美濃紙と水素ガスで軽気球を試作しました。これが始まりだ、というのです。そういえば南北戦争で気球が偵察に使われましたが、この話が日本にも伝わっていたのでしょう。また著者は「先覚者」として、田中館愛橘と二宮忠八を挙げます。特に二宮は、明治26年、リリエンタールが特許を取るより2年も早く人間が乗れる複葉機を完成させていましたが、日清戦争で出征し、「空を飛べる」と主張したら精神障害者扱いされるだけ、という不幸な運命をたどりました。
 次に著者が挙げる「先駆者」は、日野熊蔵歩兵科将校です。英仏独語に通じ、数学理学に長じ、日野式拳銃の発明など技術の天才。彼はまず発動機の製作から始めます。もう一人、奈良原三次海軍技術将校は機体の製作から始めました。なんと竹製です。二人とも第一号機を明治43年に完成させていますが、どちらも飛翔はできませんでした。
 さて、明治43年は「日本航空」に特別な年ですが、それは芋畑の購入から始まりました。飛行基地として所沢の23万坪の芋畑が買収され、滑走地はローラーで地均しをしてクローバーが蒔かれました。さらに徳川・日野両大尉は欧州出張が命じられます。日野はドイツへ、徳川はフランスで、それぞれ飛行術を学び、飛行機の購入交渉を始めます。下宿から学校まで著者はオートバイで通学します。本書では「一人で」と書いてありますが、『空の先駆者 徳川好敏』では後部座席に同じ学校の生徒を同乗させることがあった(特にフランスの女性が多く乗っていた)とあります。さて、真相は? 著者は1時間ちょっとの飛行時間で複葉機(アンリー・ファルマン機)の免許を得、次いで単葉機の練習を始めたところで突然の帰国命令。仕方なく、著者は帰国しますが、飛行機の組み立てや調整などの知識はまだ学んでいません。帰国後に届いた飛行機をどうやって組み立てるかで一騒動でした。複葉機は張線をどう張るかがややこしいですよねえ。これをフランスで見た記憶だけで再現するのは困難でしょう。ともかく、12月14日と15日を公式飛行日と定めますが、15日は車輪が地面の凹凸に躓いてプロペラが破損。なんとか代替品を見つけて修理しますが16日はこんどは発動機がうんともすんとも言いません。いろいろ調べて発電機の故障とわかりましたが、さすがにこれの代替品はありません。そこで電池を同乗席(操縦士が乗るのとは別の席)に乗せて直結してみると発動機はかかりました。しかし動かすと振動で硫酸が流れて電池は働かなくなってしまいます。17日18日は強風で飛行試験は中止。19日についに初飛行に成功します。日野大尉の機はエンジンの調子が悪く、午前一杯かかって調整をし、突風にあおられながらこちらも飛行に成功します。徳川大尉の時にはほぼ無風でしたが、日野大尉の時には北風60mって……とんでもない暴風じゃないです?
 やがて単葉のプレリオ式飛行機も所沢に到着。ところが複葉機とは設計の発想が全然違いますから、どこがどうなっているのか暗中模索状態です。組み立ててしまってから余った部品が一つ見つかってしまって最初からやり直し、なんて漫画のようなお話もあったそうです。壊れた部品を調達しようにも輸入するしかないので、部品メーカーを育成する必要があるし、自前の工場も必要なのでそれを建設する必要もあります。
 当時の飛行機は、現代の眼からは、エンジン付きグライダーのような感じです。計器もありません。すべて人間の五感でコントロールする必要があります。偵察をする場合もむき出しの飛行機の上で地図を見たりメモを取ったりするのを風が邪魔します。
 「帝都の上空を飛ぶ」のも「大冒険」でした。「もし何かあったらどうする」という抵抗が強かったのです。それでも著者は上司の井上少将に「絶対失敗しません」と“保証"して飛び立ちます。井上少将ももし墜落事故でもあったら腹を切る覚悟だったんじゃないかな? 今は別の意味で「東京の上を飛行機が飛ぶ危険性」が問題になっていますが。
 もちろん著者も墜落事故は何回も起こしています。それで大した怪我もなくすむのだから大したものです。面白いのは(と言えるのは命が助かったからですが)「松の木の上への墜落」「民家の屋根の上への墜落」です。写真がありますが、木の枝に引っかかっていたり、屋根の上に悠然と飛行機が座り込んでいたり、今では考えられない「事故現場」です。
 馬力不足も深刻で、体重が重たい同乗者がいると飛行機が上がらなかったり、強い向かい風でバックしてしまったり(「退却飛行」と呼んだそうです)、これまた今では考えられない事態です。私が笑ったのは「箱根を飛行機で越せるかどうか」が問題になっていたことです。戦後すぐだったかな、「原付で箱根を登り切れるか」が大問題となっていましたが、その昔には飛行機でも箱根が問題だったんですね。
 黎明期というのは珍談奇談の宝庫ですが、飛行機に関してもとても面白い話が満載でした。この本はもっと人気になっても良いんじゃないかなあ。


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