こどもが、「地球上にはどうしてこんなにいろいろな生物がいるの?」という疑問をもった時に、「人間が食べたり、ペットにしたりするためだよ。」と説明してやると、簡単に納得するという話を聞いた。
つまり子供はものごとを目的論的に解釈したがるということがあるのだろう。そのような図式を与えてやれば、たとえ稚拙な説明であっても納得しやすいということではないかと思う。
これは子供の習性というより、目的論的図式で解釈するという衝動が、我々人間の本性として備わっているのではないかと考えられる。それが、「なにごとにもそうであるべき理由がある」という充足理由率というものになるのだろう。そして、充足理由率を通して自然現象を眺めると、因果律というものが見えてくるわけである。つまり、こどもがものごとを目的論的に解釈したがるということが、科学を進歩させる原動力になっていると言ってもいいだろう。
しかし、ものごとの解釈が「人間が食べたり、ペットにしたりするためだ。」というような稚拙なものにとどまっていていい訳はない。そこは洗練が必要である。洗練は何によってされるのか?現実からの帰納を重ねることによってである。そして、シャーマニズムはやがて科学にとってかわられるのだろう。
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