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2017年11月24日07:21

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最後の授業

 私が受けた「最後の授業」は大学院での講義です。だけど還暦を過ぎると、なぜかまた「授業」を受けたくなってしまいました。退職して時間の余裕ができたらまた大学に入りたいものですが、今から共通一次は無理なんですよねえ。放送大学だったら入学できるかな。ところで私は何を学びたいのでしょう?

【ただいま読書中】『最後の授業』ドーデ 著、 南本史 訳、 ポプラ社、2007年、570円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4591098524/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4591098524&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=b79b9b2fcfb69bc4487eb34ca9dc55ba
目次:『月曜物語』から「最後の授業」「少年スパイ」「パリのお百姓たち」「母親」「小さなパイ」「フランスの妖精」「帰ってきたアルジェリア兵」「こわいかなしい思いをした赤シャコ」「鏡」
  『風車小屋だより』から「コルニーユ親方のひみつ」「セミヤント号の最期」「スガンさんのヤギ」
 「最後の授業」は何年生の時だったかな、国語の教科書で読んだ覚えがあります。フランスからプロイセンに支配者が変わる日の「最後のフランス語の授業」「フランス語への愛」がとても印象的でした。ただ、大人になってからはちょっと違った感想を持ちました。アルザスとロレーヌはたびたび支配者が変わっています。だからその地の住民は逆に「自分たちはフランス人でもドイツ人でもない」という意識を持ってしまい、それは劣等感にもつながったでしょうが、逆にアイデンティティにもなったはずです。そういえばアルザス地方の人は第二次世界大戦時の「ドイツ」では「アルザス人」と呼ばれて差別された、というのを戦記物で読んだ覚えがあります。「最後の授業」のフランツ少年が異常にフランス語の文法が苦手なのも、それが「母国語」ではなかったからでしょう。この作品を単純にフランス賛美とか支配者が変わってしまう住民の悲しみ、と読むことも可能ですが、私はもう少し複雑に読みたいと思いました。
 「月曜物語」のパートは普仏戦争(特にパリ包囲戦)が多く扱われています。戦争に否応なしに巻き込まれて「ともに戦う」ことになってしまった子供たちの姿が、けっこうユーモラスに描かれています。ただし、戦争ですから、結末は残酷なものが多いのですが。そういった「リアル」を「フィクション」によって「リアル」に描くことに成功した秀作です。


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