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2017年11月23日07:33

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スポーツ報道

 野球の報道では「ドラフト指名者」は全員即座に大活躍、といった威勢の良いものがあります。最近はさすがに「将来を見据えた指名」といった冷静なものもよく見かけるようにはなりましたが、20世紀のスポーツ報道は短絡的で感情的で全般的にひどいものでした。
 そう言えばサッカーワールドカップに初めて日本チームが出場した98年フランス大会。グループリーグの予想として「アルゼンチンには負け、ジャマイカには勝ち、クロアチアには引き分け。だから1勝1敗1分けでグループリーグを突破だ!」という威勢の良い予想報道がやたらと目立っていたのを私は覚えています。それを読んでの私の感想は「その予想の根拠は?」。相手の戦法や布陣とかチームの世界ランキングとかを一切無視して「国名」だけで判断しているスポーツ記者の頭の中が理解できなかったものですから。これも21世紀になって少しずつ報道が進歩しているのは嬉しいことですが、まだまだ進歩の余地はたっぷりあります。他人(プロスポーツの選手たち)にばかり努力と結果を求めていないで、記者は自分たちも進歩するように努力してそれを記事に反映させて欲しいものです。

【ただいま読書中】『ワールドカップサッカー 日本代表の隠された真実 ──ドーハの悲劇から98年フランスへ』ワールドカップ取材班 著、 蒼洋社、1994年、1262円(税別)
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 1994年ワールドカップのアジア地区予選、F組の日本は早々に最終予選出場を決めました。他は、北朝鮮、サウジアラビア、韓国、イラク、イラン。この6箇国がカタールに集まっての最終予選開始です。日本代表は、緒戦のサウジアラビア戦で引き分け、次のイラン戦ではまさかの敗退。6箇国中最下位となった日本には、あと3連勝するしか道はありません。日本を本命視していた外国人報道陣は意外な展開に驚きますが、日本の報道陣と選手たちは意気消沈していました。これまで「自分のやり方」に固執していたオフト監督は、選手を大幅に入れ替えて「冒険」に出ます。次の北朝鮮戦で日本チームは「攻め」に出ます。それまでオフトが禁じていた、ラモスを中心とする創造性豊かな攻めで北朝鮮に圧力を加え続け、快勝しました。イラクはイエローカードの嵐に見舞われ、次の試合では結局レギュラー5人を欠くことになってしまいます。そして韓国は、どこかの歯車が狂ったようで、調子を落としつつありました。第4戦の日本=韓国戦で、韓国は「最終戦の北朝鮮戦で勝ち点2はほぼ確定だから、日本戦は勝ち点1でいい」と明らかに引き分け狙いの作戦でしたが、これは作戦ミスでした。積極的な攻撃がウリの韓国チームにはミスマッチだったのです。そのため日本は辛勝でしたが勝ちを得ます。そして、いつもの「皮算用」が始まります。日本が勝った場合、引き分けた場合、サウジアラビアが勝った場合、引き分けた場合、などなどを予想して「日本はアメリカに行ける可能性が高い」と「計算結果」が出されます。「下駄を履くまで」という日本語は、すでに死語だったようです。
 そして、国際的に叩かれ続けて(おそらくは偏った審判のイエローカードのために)攻撃の主力2人を欠くイラクと日本チームは戦うことになります。審判まで味方に付けた日本チームは先制。しかし、イラク選手は卓越した個人技を持っていて、すぐに追いつきます。そこで日本はまた加点。明らかなオフサイドでしたが、イラクの抗議を主審は聞きません。このまま試合が終われば、初のワールドカップ出場が決まります。しかし残り10分からイラクは猛攻を開始、日本は耐え続けます。しかしあまりの猛攻に日本選手のプレーに狂いが出始めます。ミスパスで相手にボールを渡してしまうプレイが続き、ロスタイムに入った瞬間に「ドーハの悲劇」が。「ワールドカップでも珍しいほどの悲劇の真っ只中に日本代表チームがいた。」と著者は述べます。
 目の前で「初出場の権利」がするりと逃げていくのを見た日本代表たちは茫然自失、大会後の表彰(ベストイレブンに日本から4人、得点王にカズ)に誰も参加しませんでした。サッカー先進国だったら選手・監督・協会関係者は厳しく評価されたでしょう。しかし日本代表は「悲劇の主人公」として、成田で暖かく迎えられました。その暖かさを日本選手たちは甘受します。例外は、カズ。彼はこの「負け」の意味を深く理解していたのです。
 本書では「敗戦の原因」を考察しています。特に「ラモスの功罪」は、「功」「罪」ともに大きいもののようです。彼がいたから日本代表はあそこまで行けた。でも、彼がいたからあそこまでしか行けなかったようなのです。
 私は時々空想にふけります。もしもドーハの悲劇がなかったら、あの試合の終盤で投入されたのが武田ではなくて北沢だったら、試合には勝っていたのではないだろうか。そして、日本のサッカー界はその後今とは違う姿で世界で戦っていたのではないか、と。


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