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2017年11月01日07:07

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カクテルの不思議

 前菜に「シュリンプ・カクテル」がありますが、これって飲み物でしたっけ? どう見ても「海老」そのものなんですが。

【ただいま読書中】『カクテルの歴史』ジョセフ・M・カーリン 著、 甲斐理恵子 訳、 原書房、2017年、2200円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4562054042/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4562054042&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=80894355daae937949001ca61bf83e2b
 人類の文明の歴史の多くの部分は、アルコールの歴史と重なっています。1万年あるいはそれ以上前に都市国家を築き始めたのと同じ時期に、ヒトは自然発酵をしているアルコール飲料を発見し、ビールやワインを製造するようになりました。やがて「蒸留」技術が発見され、アラビア世界で精密な蒸留器が作られて「蒸留酒」が生まれます。一般大衆が買えるくらい安い蒸留酒の最初は「ジン」。ジャガイモや麦芽の澱粉から作られジェニパーベリーで香りづけされたジンは、最初は「薬」でしたが、18世紀前半のイギリスで「ジンの伝染(貧しい人びとの間での過剰摂取)」を起こしました。カリブ海の島々で糖蜜から作られた蒸留は、はじめはランブリオン(rumbullion)(イギリス南部の俗語で「飲み過ぎたあげくのどんちゃん騒ぎ」)と呼ばれましたが、のちに「ラム」と短く呼ばれるようになりました。アメリカでは大量に収穫されるようになったトウモロコシからコーン・ウイスキーが安く作られます。
 現在の「カクテル」は、アフリカの奴隷貿易・カリブ海のサトウキビ・アメリカのトウモロコシが揃ってから誕生しました。cocktailは本来「雑種の馬(雑種だとわかるように尾を切られている)」を意味しました。アメリカでは、強い酒に砂糖やビターズを混ぜた新しい飲み物が好まれ、それが「カクテル」と呼ばれるようになりました。禁酒法以降では、二つ以上の材料を混ぜたミックス・ドリンクがカクテルと呼ばれるようになります。アメリカでは「強いこと」「冷たいこと」がカクテルの必須条件でした。
 カクテルの原型はインドからやって来た「パンチ」です。インドのヒンドゥスタニー語の「panch」は「5」で、本来のパンチがアラック酒・砂糖・レモン・水(または紅茶)・スパイスの5つの材料を使ったことを示していたそうです。アジア以外ではアラック酒は入手困難なため、バーテンダーはかわりにラム酒を使いました。ベンジャミン・フランクリンはパンチを讃える詩を書いていますが、そこではジャマイカ・ラムが讃えられています。イギリスの上流階級もパンチに夢中になりましたが、そこでは中国の磁器のボウルが用いられるのが決まりでした。カリブ海からの果物が輸入されるようになると、それもすぐにパンチに導入されます。
 19世紀のアメリカでは、カクテルは「男の飲み物」でした。酒場で男だけ集まって飲んでいました。ただし労働者階級が集まる酒場では、手っ取り早く酔える酒が好まれていました。
 19世紀の終わりが近づくと、カクテルはアメリカから全世界に広がり始めました。国際定期航路の普及や第一次世界大戦でアメリカ軍が渡欧したことも、カクテルの国際化の後押しとなります。そこで貢献したのはイギリス海軍でした。彼らはパンチをインドからヨーロッパにもたらしましたが、ピンク・ジンとジン・トニックも生み出したのです。さらにヨーロッパのバーテンダーたちが創意工夫を加えていきます。それぞれに「誕生秘話」を持つカクテルが、次から次へと登場し、消えていきます。面白いのは「ブラッディ・マリー」の変種で、「日本酒、トマトジュース、醤油、ワサビ」で作る「ブラッディ・マル」です。どんな味なんだろう? もちろん、ジェームズ・ボンドの「ドライ・マティーニ」も登場します。
 そうそう、本書には『博士の愛した数式』(小川洋子)も紹介されます。あの本に「カクテル」が出てましたっけ?
 19世紀末、反酒場運動や禁酒運動によってアメリカでは「カクテル」に「夕食前のノンアルコールの一杯」「カクテルグラスに盛った前菜」という意味が付加されました。「シュリンプ・カクテル」はこの「新しい言葉の意味」によって登場したわけです。


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