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2017年09月30日08:15

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適正な評価

 「北朝鮮の脅威」が声高に言われていますが、ここで私が思い出すのは「イラクの大量破壊兵器」「イラクの戦車軍団の精強さ」です。あれ、結局「過大評価」でした。
 もちろん北朝鮮が無防備だ、なんてことを言う気はありませんが、あまりに「脅威」が言い立てられると、それを言う人の意図もちょっと考えたくなります。実際の所はどんなものなんでしょうねえ。「脅威」「脅威」と言う人は、具体的に何が危険だと考えているのでしょう?

【ただいま読書中】『アメリカ独立革命』ゴードン・S・ウッド 著、 中野勝郎 訳、 岩波書店、2016年、2600円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4000220888/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4000220888&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=c3aa6225d27dbf4cc981cdd5b8e640e7
 アメリカ独立革命はかつて「植民地の反乱」「知的で保守的な革命」などわりとシンプルな解釈を与えられていました。しかし20世紀になって「誰が支配するかを巡る争い」も注目されるようになり、様々な思想史的な解釈が示されるようになりました(中には「革命が成し遂げなかったこと(奴隷解放、男女平等、先住民への平等など)」に注目する立場もあるそうです)。著書はそういった歴史を踏まえ、賞賛や非難ではなくて、説明と理解のために本書を書いたそうです。
 北米は「暴力」で彩られていました。グレート・ブリテン、フランス、スペインは相争い、インディアン各部族も相争い、植民地の白人たちも、交易商人はインディアンの定住地の保護を望むが土地投機者はインディアンの根絶を願いました。7年戦争でフランスが敗北して「ヨーロッパ」はブリテンに一本化されます。18世紀半ばに植民地の人口は急増し、居留地は「奥地」に広がります。そこでの秩序は、英国陸軍か自警団によって保たれました。
 ブリテンの産業革命と植民地の急成長により、両者の交易は増大、イングランドの船舶の半数が両者間の貿易に使われました(労働者のための食糧が大量に必要だったのです)。イングランドの輸出額の25%は北米大陸向けで、スコットランドはそれ以上でした。その結果、豊かになったアメリカ人が増えます(アメリカ全体としての対外債務は増えたのですが)。
 グレート・ブリテンは巨大な戦費にあえいでいました。戦って勝ち取った領土のほとんどは富を生まずそこに駐屯する軍隊は金食い虫です。“やる気のある”君主ジョージ三世は親政にこだわり国会と対立しています。イングランドの庶民は「政治体制そのもの」への不満をため込んでいました。そして「豊かな植民地」に徴税官と軍隊が差し向けられ、それはアメリカ植民地の不満を高めました。植民地の「経費」をまかなうために「タウンゼント法」によって関税ががんがんかけられますが、植民地は「ブリテン製品の不買運動」で対抗。「ボストンの虐殺」も起き、経済的にもタウンゼント法によってブリテンの“赤字”は拡大してしまい、結局紅茶以外の関税は撤廃となってしまいます。さらに植民地人がそれまで抱いていた「本国への愛着」は完全に破壊されてしまいました。そして「ボストン茶会事件」。ブリテン本国はこれを「この上ない秩序紊乱行為」として植民地を罰するために様々な法令発布と制度改革を行います。そして「アメリカ人」は「本国は自分たちに対して課税権も立法権も持つべきではない」と確信したのでした。10年以上前からの「代表なくして課税なし」の主張はどんどん強くなり、賛同者を増やしていきました。本国の権威は失墜します。そして、権威が失墜した政府が使えるのは、武力だけです。
 総督は自分たちのまわりに「非公式な政府」(タウンやカウンティの委員会、植民地会議、全体会議、大陸会議)が勝手にどんどん構築されるのを見て仰天します。地域レベルでは、ブリテンびいきの人への脅迫も公然と行われました。植民地内の対立は帝国内の対立と複雑に絡み合っていて、事態はまるでらせん状のように動きます。ここで「国王への忠誠」を活かせば「帝国の一員としてのアメリカ」が成立したかもしれませんが、ブリテン政府はボストンで戦端を開きます。職業軍人対民兵の激しい戦いです。
 植民地人は「古い自由(イングランドの体制内での自由)」を保持するために戦っている、と信じていました。しかし植民地人が読む、自由主義思想のジョン・ロック、ジョン・トレンチャート、トマス・ゴードンなどの著作は植民地では「違う文脈」で解釈されていました。ブリテンでは旧体制と変質しつつある帝国の「現実」に合うように“骨”が抜かれていましたが、北米では自由主義思想の理想の部分がきわめて真剣に受け取られたのです。さらに、ブリテン議会がまるで気まぐれのように法律や布告を押しつけてくる態度への反発として、「憲法」の制定を考えます。ブリテンは成文化された憲法を持っていない。だったら自分たちはその上を行こう、というわけでしょう。
 本書に詳述された憲法や連邦の議会制度についての解説を読むと、賛成するにしても反対するにしても「イギリスのあり方」が「アメリカのあり方」に深く関係していることが理解できます。もちろん「北米特有の環境」も深く関係していますが、「独立」をするというのはけっこう大変な作業だと言うことがわかります。ただ、フランス革命とは違って外国からの干渉がそれほどでもなかったのはアメリカにとっては幸いでした。これで「周囲の外国」がやたらとちょっかいを出してきたら、話はもっともっとややこしくなっていたでしょう。


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