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2017年09月11日07:02

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音楽と人種差別

 昔南アフリカ共和国がアパルトヘイトを行っていた頃、人種差別をやめろ、と国際的に経済制裁が行われていた時期があります。その頃、「サイモンとガーファンクル」を解散後にソロ活動をしていたポール・サイモンはアフリカ音楽、特に南アフリカの音楽に興味を持ち、南アフリカの黒人音楽家たちと組んで、アルバム「グレイスランド」を発表しました。
 それに対して「経済制裁に反対するのか(南アフリカの人間に金を払うのか)」とポール・サイモンに批判が集中しました。まるでポール・サイモンがアパルトヘイトの賛成者であるかのように。
 だけどねえ、ポール・サイモンは「黒人音楽家たち」を支持していたんですよ。それどころか、国内では白人からの差別、国際的には「南アフリカボイコット」で活動の場を奪われていた人たちに、その才能を世界に誇示する道をつけたんです。これによってそれまで南アフリカに対して「知らんぷり」を決め込んでいた「世界」は「音楽」を通じて「人種差別」に直面せざるを得なくなってしまいました。これのどこが「アパルトヘイトに賛成」になるのか、私にはわかりませんでした。今でもわかりません。私が、言語的形式的な「正義の味方」が嫌いになったのは、これ以降のことです。

【ただいま読書中】『第三帝国のR.シュトラウス ──音楽家の“喜劇的”闘争』山田由美子 著、 世界思想社、2004年、2200円(税別)
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 リヒャルト・シュトラウスはドイツ国民啓発宣伝省(宣伝相はゲッペルス)管轄下の帝国音楽局の総裁でした。仕事は「ユダヤ系の学者・文化人・芸術家の解雇・追放・迫害。非アーリア系人が関与した作品の上演禁止、焚書、美術品の破壊」。そのためシュトラウスは戦後に「親ナチス」の疑いをかけられました。しかし、シュトラウスが総裁辞任直前に上演したオペラ「無口な女」は、企画・台本はユダヤ人のシュテファン・ツヴァイクで、当局の中止勧告(複数回)も押し切って、ヒトラーとゲッペルスを招待しての上演が行われています。さらにプログラムのゲラでは削除されていたツヴァイクの名前をシュトラウスは強引に復活させていました(総裁と宣伝相は結局「天候不順による飛行機の欠航」で不参加でした)。
 ……あれれ? 本当に親ナチスですか? ところで、戦後にシュトラウスを非難した人たちは、戦前にそこまでユダヤ人に肩入れをしていました?
 帝国音楽局では(アーリア人である限り)「才能優先」でした。「ナチスに忠実だが無能な音楽家」に「居場所」はなかったのです。だからでしょう、初代総裁シュトラウスも初代副総裁フルトヴェングラーも、ナチス党員ではなかったのにその才能(と実績)を理由に就任しています。
 ワーグナー一族とその関係者は、シュトラウスとヒトラーをワーグナーの後継者として考えていました(シュトラウスは「三世」と呼ばれましたが、それは「あまりにワーグナーが偉大すぎるので『二世』は存在しない」がその理由だそうです)。ワーグナーの汎ドイツ主義の思想はヒトラーにそのまま受け継がれました。しかしシュトラウスは、生涯ワーグナーの崇拝者であり一族と親交を保っていたのに「思想」は受け継ぎませんでした。
 ヴィルヘルム二世の時代、シュトラウスは物議を醸す作品を次々発表しています。「サロメ」ではヌードの女性を舞台に登場させ、「ばらの騎士」は不倫のベッドシーンで幕が開きます。そのたびに上演禁止や削除が行われますが、シュトラウスはあの手この手でオペラを復活させ、結局検閲を後退させ続けました。そして、最高権力者にヒトラーが就いてもその姿勢は変わりませんでした。ただ、シュトラウスは「権力者にたてつくこと」が趣味だったわけではありません。彼に見えていたのは「芸術」、それも「歴史の中での芸術」でした(「芸術の本来の使命は、ある特定の時代のある民族の文明の生き証人となることである」とすでに1903年にシュトラウスは宣言しています)。だから、第一次世界大戦の時、“挙国一致”のように芸術家や文化人が「戦争賛成」を宣言したときも、シュトラウスは超然とその動きを無視していました。
 余談ですが、本書には「交響詩〈ツァラトゥストラはこう語った〉において、シュトラウスが広大無辺な天体の舞踏をウィンナ・ワルツの規模に縮小する試みを行っていたことを、ロランは指摘している」とあって、つい先日『ウィンナ・ワルツ ──ハプスブルク帝国の遺産』を読んだばかりなので、私は一瞬絶句してしまいました。あれって「ウィンナ・ワルツ」だったんですか。
 本書では、シュトラウスの作品を次々詳しく分析し、さらに回りの人間との関係についても細かく調べています。また、ナチズムがなぜあそこまで細かく文化統制に口を出したのかの思想的背景も書かれています。しかし、シュトラウスは「山」だったんでしょうね。「時代の流れ」に多くの人は流されるしかありません。流れに抗する人もいつかは流れに飲まれてしまいます。しかしシュトラウスは、流れを見下ろす「山」だったものだから、水流であれ火砕流であれ、山を動かすことまではできなかった、ということなのでしょう。
 そうそう、副総裁のフルトヴェングラーもまた結局は権力に抵抗することになってしまったのですが、彼にはどんな“理由”があったんでしょうねえ?


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