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2017年09月06日07:10

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優雅ではないワルツ

 「ワルツ」といえば、優雅とか軽やか、なんて思わず言いたくなりますが、たとえばハチャトゥリアンの組曲「仮面舞踏会」の「ワルツ」はそういったことばとは全然違う雰囲気です。もしあれで踊ったら、どんな「ワルツ」になるのでしょう? そういえば「ボレロ」(ラヴェル)も三拍子の舞曲でした。もっともこれは最初から「ワルツ」ではありませんが。
 私は古楽も好きなのですが、ルネサンス期の楽譜集をぱらぱらめくってみると、3拍子のガリアルドが見つかりました。ただ、ガリアルドには4拍子のものもあるので、これは「3拍子の曲というスタイル」ではなくて「踊りのスタイル」にたまたま三拍子の舞曲がくっついたことを示しているだけなのでしょう。ちなみに「ワルツ」は見えませんでした。「ワルツの楽譜がない」ことは「ワルツがない」ことの証明にはなりませんが、さて、ルネサンス期あるいはそれ以前から「ワルツ」は踊られていたのでしょうか? あるとしたら、それはどんな踊り?

【ただいま読書中】『三拍子の魔力』なかにし礼 著、 毎日新聞社、2008年、1800円(税別)
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 日本の音楽の伝統は二拍子または四拍子でした。著者が挙げる“例外”は「南無妙法蓮華経は三拍子」だけ。私は、江戸時代の三味線の曲(長唄など)に、三拍子や五拍子のものがあった、と聞いた覚えはありますが、曲を聴いたことがないので確かな情報かどうかはわかりません。
 明治になり西洋音楽が大量に入ってくるようになってから、日本でも「西洋流の音楽」が定着し、大正時代にはついに「日本人が作った三拍子の歌曲」(「朧月夜」と「故郷」)が登場し、その後三拍子の曲は一挙に百花繚乱となります。著者は「モボとモガにとって、先鋭的なリズムが三拍子だったから」と分析をしています。
 ところが昭和に入った途端、急に三拍子の曲は影を潜めます。大正デモクラシーや大正リベラリズムではなくて、戦争への行進曲(4拍子)が流行するようになっていったのです。
 著者は満州生まれ、終戦後に引き上げ故郷を持たぬものとして辛酸をなめました。小学校の教室で教師がベートーヴェンの交響曲「田園」をかけ、それを聞いて心の中にまざまざと満州の風景が蘇り感泣したのが著者とクラシック音楽との出会いです。クラシックづけとなり、次はシャンソン、将来は文学で身を立てるつもりでしたが、大学時代にシャンソンの訳詞で稼げるようになり、卒業と同時に「知りたくないの」がヒットして、売れっ子作詞家になってしまいます。しかし、時間を見つけてはクラシックのコンサートに通い詰めています(その“スケジュール”の一部が本書にありますが、すごい過密です)。
 ベートーヴェンの「第9」で、シラーの詩は日本ではそれほど重要視されていません。しかし著者は「フリーメイソンの視点」から「歓喜」という言葉を読み解きます。シラーと同時代のモーツァルトはフリーメイソンのメンバーでしたが、彼の作品にも「歓喜」がよく登場します。それはなぜでしょう?
 日本では、小林秀雄の影響か、モーツァルトとフリーメイソンの関係は軽視(あるいは無視)されています。しかし著者はアルフレート・アインシュタインの「フリーメイソン的思想は彼の全作品にしみわたっている。単に『魔笛』(K620)ばかりでなく、多くの作品が、事情に通じない人々には夢想もできないことだが、フリーメイソン的なのである」ということばを繰り返し引用します。そして、日本人は「事情に通じていない(作品の本当の意味を理解していない)」のではないか、という疑いを示します。
 フリーメイソンで「3」は「聖なる数」とされています(たとえば、組織への加入の儀式では、ノックは3回と決められています)。そして著者は、モーツァルトがフリーメイソンに入会しようかどうか逡巡していた時期に作曲された「弦楽四重奏第15番ニ短調K421」最終楽章に登場する“おどおどした”三連音が最後には“諦念のような”四連音になることを、「フリーメイソンの影響」とします。
 本書ではこうしてフリーメイソンについて、ベートーヴェンやプーシキンなども引き合いに出して詳しく述べられるのですが、本書の表紙にはなぜかトルコの旋舞教団の団員が踊る姿が描かれています。あの音楽は三拍子ではなかったと私は記憶しているのですが……
 ともかく、フリーメイソンに入会してからのモーツァルトの曲には「3」がやたらと登場するようになる、と著者は楽譜を読み解きます。恐らく、入会儀式で感じた感激を音楽で表現しようとして、モーツァルトは「優秀な作曲家」から「超絶的な作曲家」へと変貌したのではないか、が著者の解釈です。そして、「魔笛」の台本作者で初演でパパゲーノを演じたエマヌエル・シカネーダーもフリーメイソンのメンバーであることから、著者は、モーツァルトとシカネーダーは「フリーメイソンのメンバー」ということで意気投合し、二人で「フリーメイソンの雰囲気をそのまま表現するオペラ」を作り出した、と考えています。
 最終章でやっとトルコの旋舞教団が登場。著者はこの調べを「ワルツの源流」と考えます。いや、たしかにあの音楽には魅力というか魔力を感じますが、ヨーロッパ人がそれから影響を受けてワルツを生み出した、というのはちょっと無理がありそうです。しかし最後に登場する「三拍子の『さくら、さくら』」って……これは直に聞いてみたいものです。
 おや? 私も「ワルツの魔力」にちょっと取り憑かれたかな?


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