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2017年08月28日21:05

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仲人の仕事は糸結び?

 日本では「運命の人」とは「手の小指」同士が目に見えない赤い糸で結ばれている、となっています。“本家”の中国では足首なんですが、ともかく、もし「赤い糸を見ることができる人」が人間社会を見たら、糸同士がこんぐらがってとんでもなく複雑な模様に見えるでしょうね。
 ところで、もともとの話では「2人は糸で最初からつながれている」わけですが、これを「出会ってから結ぶ」とできたら、もうちょっと現実社会と様相が近くなりません? 離れる場合も、しっかり結んだつもりだったけれど解けてしまった、なんて説明ができますから。

【ただいま読書中】『ようこそ、認知症カフェへ ──未来を作る地域包括ケアのかたち』武地一 著、 ミネルヴァ書房、2017年、1800円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4623080250/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4623080250&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=3c3195e6b978180ae29618a19e711520
 認知症の人は「自分が認知症になったのかもしれない」という怯えとともに「社会からの偏見に晒される」怯えも抱いています。家族への思いも複雑です。それと同様に、家族もまた、認知症になった人と社会の板挟みになります。そういった「本人」と「家族」に対する「社会の中での居場所」としての一つの形が「認知症カフェ」です。だからカフェの運営者には、本人と家族双方への目配りが必要です。
 カフェにやって来た家族の中には、貯まりに貯まった鬱屈を一挙に晴らそうとするかのように矢継ぎ早に言葉にして吐き出す人がいます。それは「認知症を受け入れるための過程」の一つではあるのですが、それを聞いた本人は傷つきます(認知症を持った人も、普通の感情はあります)。では、本人には聞こえないところでスタッフが家族から話を聞こうとすると「こっそり悪口を言っているのではないか」と本人は不安を感じます。そこをどうやって上手くさばくか、がスタッフの腕の見せ所になります。
 カフェでは本人は家庭では見せないのびのびした姿を見せて家族が驚くことがあるそうです。どうして家庭ではあんな風に振る舞えないのか?という気づきで家族が変容すると、「家庭」が変わることもあります(そのためには家族の負担と負担感を軽減する必要があるのですが)。
 上手く機能するカフェのスタッフには「数が多いが、専門職は少数で、ほとんどは学生・市民のボランティア」という特徴があります。すると「ボランティアの育成」もカフェとして重要な仕事ということになります。もっともこれは「認知症カフェ」に限った話ではないでしょうが。
 認知症カフェで交わされる会話は「本人同士」「本人と家族」「家族同士」「ごちゃごちゃ」といろんなパターンがあり得ます。そのそれぞれについてスタッフは違った心構えと態度で参加・介入する(あるいは介入しない)ことが求められます。これは大変です。だから「スタッフ同士」の会話が重要となります。ところがこれが時にけんか腰になってしまうこともあるそうで、それをどう収めるかはリーダー格のお仕事になりそうです。
 「地域の中にオアシスを作るのか、地域の緑化活動をするのか」という非常に印象的な言葉が本書にはあります。また「スタッフの心得」も「これも知ってもらいたい、これも大切」と実に盛りだくさんに書いてありますが、スタッフになりたい人はこれを全部暗記するのではなくて、通読はするにしても実際に認知症の人と接してみてその上で自分の対応のどこに問題があるかを知って修正していく方が良いのではないか、と私は思いました。
 まだ「認知症カフェ」自体の数はあまりないようですが、その内に各地に開かれるかもしれません。その時私は、ボランティアとしてか、あるいは認知症の当事者としてか、どちらで参加することになるのかな?


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