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2017年06月27日06:58

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位置がずれた

 ある駅で電車に乗ろうとしたら、電車がちょっと行きすぎてドアが2mほどずれてしまいました。最近では珍しいな、と思いましたが、乗車待ちの列はすぐにそれに対応してスムーズに乗降が終了。それから3つの駅では特に問題なく電車は進行していたのですが、4つめ、私の目的地の駅でドアは乗降の列の所にぴったり止まったのにドアがなぜか開きません。乗りたい人と降りたい人とが、閉まったままのドアの窓を通してにらみ合いとなってしまいました。すると20秒くらいして「停車位置が違うので電車が移動します」と。それからさらに15秒くらいしてやっと電車が前に動き出して、次の乗車列の所まできたらそこで停止。やっとドアが開きました。つまり、乗車位置が丸々ひとつずれてしまっての停車だったわけです。で、運転手は「きちんと止まった」と思い込んでいて安心していたら、車掌が「ずれているぞ」とドアを開けず運転手にそれを連絡してやっと電車が動き出した、ということだったのでしょう。
 単なるケアレスミスか、と思いましたが、私が乗るときにもちょっと停車位置がずれたことを思い出して、運転手の健康状態が心配になってきました。もしかしてどこか不調なのではないかな。

【ただいま読書中】『素粒子論はなぜわかりにくいのか ──場の考え方を理解する』吉田伸夫 著、 技術評論社、2014年、1580円(税別)
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 まず「素粒子は粒子ではない」から話が始まります。空間全体に広がる「のっぺりとしたもの(=「場」)」があり、そこにエネルギーが加わると“それ”はまるで粒子のように振る舞う、それが、ヒッグス粒子・電子・クォーク・光子・ニュートリノなどの「素粒子」なのだそうです。そして、エネルギーを加えることで(dクォークがuクォークに変わるように)素粒子の性質がころりと変わるのは、単にエネルギーの振動の方向が変わるから。
 「なるほど!」と私は膝を打ちます。私は中学高校の物理学でまるでビリヤードの球のような模型で「原子論」を習った人間ですが(同時に図書室のブルーバックスで不確定性原理を知って、頭がぐらんぐらんしました)、最初からこんな風に言ってもらえていたらもう少し理知的(理系の知識が豊富)な人間になれていたかもしれません。
 「素粒子は、粒子でもあり、波でもある」という記述はわかりにくい、と著者は主張します。「場の波動」が量子論的な効果で粒子のように振る舞っているだけだ、と。そして、場にエネルギーが注入されると、「粒子」はいくらでも生成されるのです。さらに、素粒子のエネルギーの値が「整数比」で飛び飛びになるのは「定在波」で説明できる、と言われると、単純な私はすぐ説得されてしまいそうです。私がお気に入りの「ディラックの海」が消滅してしまうことは残念ですが。
 ただ「質量」を「質量エネルギー」だと考えると、「質量保存の法則」と「エネルギー保存の法則」が統一されるのは、話が楽になりますね。
 本書を読んで「素粒子論」が簡単に理解できるようになるわけではありません(少なくとも私の場合は)。だけど「素粒子論が年代によってバージョンアップしている」ことはよくわかりました。ある本を読んで「素粒子論はこんなものだとわかった(あるいはわからなかった)」としても、それは「その本が書かれた年代」の内容についてでしかないわけです。逆に言えば、どんなに自信たっぷりに書かれている本であっても、「現時点では」という留保がない場合(まるで「究極の真実が書いてある」といった態度の本だった場合)その内容については丸ごと信じることはやめた方が良さそうです。なるほど、素粒子論は「わかりにくい」わけです。だけど、面白いなあ。


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