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2017年06月16日07:44

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監視対象

 今の日本国憲法をひっくり返そうとしている人たちは、国家転覆を企てている、という点で、共謀罪の監視対象になるんじゃないです?

【ただいま読書中】『緑の魔界の探検者 ──リビングストン発見記』H・M・スタンリー 著、 仙名紀 訳、 小学館、1995年、1460円(税別)
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 デイビッド・リビングストンは1813年スコットランドに生まれました。貧しさから10歳で紡績工場で働き始めましたが夜学で勉強を続け、グラスゴー大学で医学・神学・ギリシア語を勉強、医療宣教師として中国に行くことを夢見ます。しかしその夢はアヘン戦争で潰され、リビングストンはアフリカにターゲットを変更します。布教と探検の旅を続けるうちにリビングストンの興味は、伝道から探検へと移行していき、ビクトリア滝やニャサ湖の発見を成し遂げました。64年にイギリスに戻り、66年からナイル川の水源を探す旅に出発。しばらく文明社会との連絡が絶えます。
 これを「チャンス」と見たのがアメリカの新聞でした。売るためのネタとしては絶好のものに思えたのです。「危険な状態のリビングストンを救え」というのは、たとえ真実ではなくても真実みはありますから(実際にリビングストンは、自分が行方不明になっている、なんてことは思っていませんでした)。
 アフリカに派遣されたのは「ニューヨーク・ヘラルド紙」の記者スタンリー。この人の半生はすごいものです。非嫡出児としてウェールズで生まれ母親に捨てられ、アメリカに渡り、南北戦争で両方の軍隊に従軍する、という特異な体験をし、アメリカ海軍で書いて新聞に送った戦闘報告が評判となって記者として身を立てるように……そんな彼に新聞社の社長は「金に糸目をつけないから、とにかくリビングストンを発見せよ」と命じます。「そのついでに、スエズ運河の開通式とナイル河とエルサレムとイスタンブールとクリミア半島とカスピ海とペルシャとインドも取材して、できたらユーフラテス渓谷鉄道も取材して、それが済んだらリビングストン」とも。やっとザンジバルにたどり着いたスタンリーは、まずは探検隊を組織することから始めます。まったくの素人なのに、無謀です。
 それでも4900キログラムの物資を調達し、総勢192人の探検隊は無事出発します。出発はできたのですが、隊員の脱走、怠慢、2頭の馬が死亡(解剖して、寄生虫と胃癌と死因を確定しています)、病気(マラリアなど)、とトラブルが次々発生。さらに、通過する各部族の村々で毎回繰り返される貢ぎ物を巡るしんどい値切り交渉にスタンリーは嫌気がさしてしまいます。
 道中の描写では、次々に登場する各部族の個性が強い面々が読者を退屈させません。ただ、地形や水の有無や家畜や害虫の描写は多いのですが、野生動物や植生についてはほとんど詳しい描写がありません。スタンリーは自然科学よりは社会学の人間だった、ということなんでしょうか。このスタンリーの詳しい記録は、のちに西洋列強がアフリカに植民地建設をするときに、大いに役立ちます。「侵略と支配のためにすぐ使える知識」が盛り込まれていましたから。
 戦争に巻き込まれ、隊員は反抗したり脱走したりでスタンリーは大変です。しかも本人はまた病気になってしまいます。それでもついにリビングストンらしい白人の消息を聞き出すことに成功。目的地はタンガニーカ湖!
 出会った二人はお互いに質問を重ねます。スタンリーはリビングストンの過去数年間の活動について聞きたいことが山ほどあります。リビングストンは自分がアフリカに籠もっている間に世界がどう変わったかを知りたがります。たしかに世界は激動していました。スエズ運河開通・アメリカ大陸横断鉄道開通・スペイン革命・普仏戦争…… “そんな時代”だったんですね。
 リビングストンは弱っていました。物資のほとんどを失い、赤痢になり、孤独感に苛まれていました。そこに“救援”がやってきたのです。自分は世界から見捨てられていたわけではないと知り、リビングストンは元気を取り戻します。
 スタンリーは4箇月をリビングストンと一緒に過ごします。実際に会うまでリビングストンは「ただの取材対象」「記事のネタ」に過ぎませんでした。しかし4箇月の間に二人は友人となり、スタンリーはリビングストンの美点に魅せられます。
 “外の世界”に、二人の味方もいましたが、敵もいました。まずは「安楽椅子の地理学者」。噂や風聞だけで「正確な世界地図」を描くことに熱中し、実際に探検した人の報告を「それは事実に合わない」と否定したり侮辱する人たちです。王立地理協会にはそういった「リビングストンの敵」が(それも地位が高いところに)大勢いました。しかしリビングストンの報告が正しいらしいとなると、攻撃の方向がスタンリーに向けられます。ジャーナリストの世界でもスタンリーに対する妬みが渦巻き、人格攻撃まで盛んに行われました。
 リビングストンは「ナイルの水源確認」のための旅で命を落としました。スタンリーはその遺志を継ぎ、大探検隊を組織して、タンガニーカ湖の詳細を調べ、さらに(リビングストンがナイルの源流ではないかと考えていた)ルアラバ川がコンゴ川と同じものであることを発見しました。その後、ベルギー国王レオポルド二世の依頼でコンゴを探検、コンゴ自由国(ベルギーの植民地、というか、レオポルド二世の私有物)を建設します。
 伝道が探検にかわっても、その結果が植民地になってしまうのは19世紀の困った点ではありますが、私が育った20世紀はその19世紀に真っ直ぐ乗っかっています。ただ、そろそろ帝国主義の残影は振り払って21世紀の世界を生きても良いのではないか、なんてことも私は思います。


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