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2017年06月12日07:19

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梅雨入り

 昭和の時代には「梅雨入り宣言」が大々的に行われましたが、皮肉なことにその翌日から快晴が続いて「気象庁の責任」を問う声があったりしました。別に気象庁の責任ではない、とは思うのですが、やっぱり気にする人は気にしていたようで、最近は「梅雨入りした模様」と歯切れの悪い“宣言”になってしまっています。で、先日雨が降ったら早速「梅雨入りした模様」宣言がされたのですが、また“例によって”翌日から晴れが続いてしまいました。別に気象庁の責任ではないんですけどね。

【ただいま読書中】『コロンブスの不平等交換 ──作物・奴隷・疫病の世界史』山本紀夫 著、 角川選書、2017年、1700円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B01MY9RROI/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B01MY9RROI&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=48c263ce4120ee4467e3784c7dbc88e6
 アメリカの歴史学者クロスビーは『コロンブスの交換』を1972年に発表しました。新大陸から旧大陸には「トウモロコシ」「ジャガイモ」「トウガラシ」「梅毒」、旧大陸から新大陸へは「バナナ」「サトウキビ」「小麦」「様々な家畜」「インフルエンザ」「天然痘」などが「交換」された、という本です。
 著者はこの「交換」ということばに違和感を感じました。「交換」と言ったら「対等の関係」が前提にあるイメージですが、現実はちっとも「対等」ではなかったのですから。そこで「先住民の視点」からこの「交換」を見たらどうなるか、と書かれたのが本書です。
 「先住民の視点」ですから、たとえば「トウモロコシ」は、野生種からいかに苦労して栽培種にしたかの歴史が語られます。白人は「完成されたトウモロコシ」をただ持って帰っただけだ、と。トウモロコシの品種改良には5000〜1万年かかったようです。
 ジャガイモも、野生種は有毒で、毒抜きをしないと食べることができません(今でもその名残が「ジャガイモの芽のソラニン」にありますね)。そこで、毒抜きの技術が発達すると同時に、ジャガイモそのものの品種改良が行われました。より食べやすく、より大きく、そしてより美味しく、の道です。
 ヨーロッパに渡ったトマト・トウモロコシ・ジャガイモなどは最初は拒絶反応で迎えられましたが(理由は「有毒」「聖書に書いてない」など)、やがて定着し、あるいは定着しすぎてアイルランドでは「ジャガイモ飢饉」を起こすことになります。
 ニューギニア原産のサトウキビはヨーロッパでは栽培しにくいため、まず地中海でついで西アフリカで栽培されていましたが、新大陸に持ち込まれて砂糖の大量生産が可能になります。それは同時に奴隷制度も必要としました。奴隷は安く砂糖は高く、精糖に2〜3年従事させたら“元”は取れたので奴隷の所有者は“使い捨て”意識を持っていたそうです。
 馬は新大陸であっという間に普及し、西部劇でおなじみの「乗馬姿のインディアン」があちこちで見られるようになりました。
 そして疫病。天然痘やはしかのように“致命的な病気”だけではなくてヨーロッパあるいはアフリカでは「普通の病気」であるジフテリアやおたふく風邪でさえも、それに対する免疫を持っていない新大陸の先住民には致命的でした。虐殺よりも疫病による死者の方がはるかに多かったのではないか、と著者は推定しています。そのため、新大陸での先住民の人口は、歴史上稀なくらいのペースで激減しました。それに対して、旧大陸側では梅毒でひどい目に遭う人は多くいましたが、人口の激減はありません。この「不平等」については『銃・病原菌・鉄』(ジャレド・ダイアモンド)で詳細な分析がされています(「家畜」が重要な位置づけをされていました)。
 ……やっぱり対等な意味での「交換」はなかったようです。たしかに人と人との関係で本当に対等であることは難しいでしょうが、それなら「対等である」なんてふりをするのではなくて「これまでは対等ではなかったが、これからは対等でありたい」とフェアに振る舞う方が良いのではないかな?


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