mixiユーザー(id:235184)

2017年06月01日21:11

379 view

みちびき

 日本版GPS衛星が種子島から打ちあげられました。アメリカの衛星に加えてこれで日本の位置情報がずいぶん精細化される(誤差が数センチになる)のだそうですが、ここで気になるのは北朝鮮です。最近はミサイルの着弾精度がどうのこうのと言っていますが、みちびきが北朝鮮に“悪用”されないための手は打ってあるのでしょうか?(あったとしても軍事機密で発表はされないでしょうけれど)

【ただいま読書中】『せんとうびしょうじょのせいしんぶんせき』斎藤環 著、 太田出版、2000年、2000円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4480422161/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4480422161&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=6d852a3b8a744317e89e29c05ebd3704
 「リボンの騎士」「じゃりン子チエ」「風の谷のナウシカ」「セーラームーン」……これら「戦闘する美少女」は、日本ではおなじみですが(「じゃりン子チエ」が美少女かどうかは意見が割れるかもしれませんが)、これは実は日本でだけおなじみの現象のようです。もちろん「ジャンヌ・ダルク」という史実はあるし、ハリウッド映画などで「戦うヒロイン」はいくらでもいます。しかし、大量消費の対象となる「戦う美少女」は西洋にはほぼ皆無なのです。さらに、西洋文化に存在する「戦う美少女」は、基本的に「男勝り」ですが、日本型の「戦う美少女」は「少女性」をしっかり保持しています。それは本来はローティーンの少女たちに受け入れてもらうための造形でした。ところが今は「おたく」が「戦う美少女」をセクシャリティーの対象物と見なしています。かくして「おたくの精神病理」の分析が必要となりました。
 著者は微妙な立場に立ちます。そもそも精神分析は自己分析は不可能、が前提です(だから教育分析が必要になります)。しかし、著者は自分自身におたくの気配が濃厚にあることを意識しつつ、それを否定(あるいは棚上げ)しようとしています。「安全地帯」から「おたく」を論じようとしているのかな、と私は感じます。ただ、他にどんな方法があるのか、と言うと、けっこう難しい。おたくは自己言及を避ける傾向があります。全くの他者によるケーススタディーはバリエーションの迷路に入ってしまいそうだし、“客観的”におたくを論じるのはこんどは印象論の決めつけの世界に入ってしまいそうです。
 「おたくの定義」は困難です。本書では「岡田斗司夫(オタキング)の定義」「大塚英志の調査結果」を紹介し、著者は「虚構コンテクストに親和性が高い」「愛の対象を「所有」するために虚構化という手段に訴える」「二重見当識ならぬ多重見当識を生きる」「虚構それ自体に性的対象を見いだすことができる」と記述します。
 「現実」と「虚構」の定義も難しいものです。著者はラカンを持ち出しますが、私はもっと古い「唯識」で十分間に合っているのでそちらを使います。そもそも人は「現実情報」を「感覚」で取り入れて脳内に再構築してそれを認識することで「世界」を認識している(認識した気になっている)わけで、「情報」が「物によるもの」だったら他者によって確認することがまだ可能ですが、「物によらないもの」だったら「本人にしか確認できない」場合があり得るわけです。
 「おたくがもっともおたくらしい顔を覗かせるのは、その性生活においてではないか」と著者は指摘します。そして「一般人がおたくに抱く素朴な嫌悪感」の正体は「そのセクシュアリティに対する反感」ではないか、と。しかしおたくはそのセクシュアリティを容易に「行動化」しません。せいぜい「○○萌え」程度。ちなみに、有名なアニメ作品などでは「18禁同人誌」も大量に二次制作されますが、おたくはそれに対して目くじらを立てないことも特徴的だそうです。「抜く」対象として、エロだろうが真っ当なフィギュアだろうが二次元だろうが、特別に差別はしない、という態度なのでしょうか。さらに、実際の性生活では健全なパートナーを持っているおたくがけっこう多いそうです。
 1960年代からの「戦闘美少女の系譜」は、おたくでなくて単なるアニメファンでも「懐かしい」のオンパレードです。「戦闘美少女」の「先史時代」の「サイボーグ009」は、登場するのは美少女ではなくて成熟した美女ではありますが、確かに後の「戦隊シリーズ」に通じる布石が打ってあった、と言えそうです。90年代からあとは私はちょっとついて行けなくなってしまうのですが、88年の「トップをねらえ」でアニメの戦闘美少女の系譜はほぼ完成するのだそうで、だったら無理してついていかなくても良い、ということですね。
 著者は、精神分析で使われる「ファリック・マザー(ペニスを持った母親=権威的に振る舞う母親)」という言葉と概念を援用して「ファリック・ガール」という言葉を発明して、それによって「戦闘美少女」の本質を説明しようとします。ただ、その試みがピンポイントで「戦闘美少女の核心」を突いているかと言えば、私にはその確信はありません。近いところは突いているような気はするんですけどね。ただ、私はおたくではないし(たぶん)おたくの親友もいないから(たぶん)、こういった「確信の無さ」にどの程度の意味があるのかも、よくわかりません。


0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2017年06月>
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930