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2017年04月19日06:58

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銅像

 私が通った小学校の校庭の隅っこには二宮金次郎の銅像がありました。それを真似たわけではありませんが、私はランドセルを背負って道を歩きながら本を読んでいました。だけど私には「金次郎」というあだ名は付きませんでした。もしかしたら誰も二宮金次郎のことを詳しく知らなかったのかもしれません。
 そういえば、世の中には「自分の銅像」を立てて喜ぶ人がいるそうですが、二宮尊徳は「自分の銅像が日本のあちこちにあること」を喜ぶような人でしたっけ?

【ただいま読書中】『東京路上博物誌』藤森照信・荒俣宏 著、 春井裕 構成、鹿島出版会、1987年、2800円(税別)
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 まずは丸の内で「猛獣狩り」です。街のあちこち(主にビルの上の方)に、猛獣や猛禽類が刻まれているのを、著者らは次々発見して大喜びをしています。
 動物園の檻は、かつては「円形」でした。貴族や王族はその中に入り、その周囲を猛獣たちがうろつくのを眺めて楽しんでいたそうです。しかし動物園が大衆化すると檻は四角になりさらに密集させられ、人は檻の一面からだけ動物の姿を眺めるようになりました。植物園は動物園とは違って「実用」のために始まりました。世界中の有用な植物を集めて育てることが目的です。したがって「非公開」が原則でした。そのため動物園と植物園では「隠喩」が異なるのだそうです。
 二宮金次郎の銅像は、かつてはほぼすべての小学校に置かれていました。今ではその数はずいぶん減りましたが、それでも相当な数が残っています。では「二宮金次郎はどんなすごい人か」を知っている人はどのくらいいるでしょう? 一同は東京を巡り巡ってたくさんの「金次郎」に出会います。するとそのバリエーションの豊かなこと。ずらりと写真が並んでいますが、とても「同一人物」とは思えません。普及や拡散は質の劣化を招く、という一般法則が「二宮金次郎の銅像」にも当てはまっているのかもしれません。
 東京は「富士に憑かれ」ている、と本書では主張されています。江戸に最初に引かれた大通りは日本橋の本町通りですが、これは江戸城と富士山を結んだ線の延長線上に置かれ、以後江戸の道路網の“基準線”となっています。富士見坂も江戸(東京)のあちこちにありますし、富士山のミニチュア(富士塚)も都内に数十存在しているそうです。
 「地下」「銭湯」「ミジメ店」など様々な切り口から「東京」が語られますが、なかなか一筋縄ではいかない街ですねえ。ただ、それは東京に限ったことではないでしょう。ある程度の歴史と規模がある街だったらどこでも重層的な構造と雑多な「もの」があるはず。NHKの「ぶらタモリ」よろしく、私も自分の近所を「路上観察」してみようかな。昔の川筋とか、へんなものに気づいてはいるので、その目で見たらいろんなものが見えてくるかもしれません。


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