mixiユーザー(id:235184)

2017年03月05日07:59

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持続可能

 地球を使い潰すまで無理に走り続ける高度成長社会ではなくて持続可能な社会に人類は方針を変更するべき時期に来ているように私には感じられます。するとその社会では、人々の働き方も「持続可能」なものである必要があります。今「ノー残業」とか「時間外を制限」とか言っているのも、「労働者を持続可能な存在」にしようとしているのでしょうね。

【ただいま読書中】『裸の放浪画家・山下清の世界 ──貼り絵と日記でたどった人生』池田満寿夫・式場俊三 著、 講談社、1993年、1500円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4061980815/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4061980815&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=31d157074a8c8635578146d857852a58
 大正10年に生まれた山下清は、小学校の時に知的障害が明らかになり、深刻ないじめを受け、小学6年生で知的障害者の施設である八幡学園に入りました。そこで出会った貼り絵に清はのめり込みます。折りしも戦時体制、知的障害者には生きづらい世の中となっていましたが、清の「花火」などの張り紙は人気となり、「生きる道」が見つかりました。昭和15年から、清は時々八幡学園から姿を消しました。物乞いをしたり職を探したりして各地を放浪。ただし、旅の途中では制作活動は一切しません。学園に戻ったら、旅の途中で何をしていたのかの日記をつけたり貼り絵を制作することに没頭します。ここには学園の職員と山下清の間に、もしかしたら特殊な人間関係ができていてそこから日記や貼り絵が生まれるようになっていたのかもしれません。
 カラー図版をじっと見ると「一切の余白を許さない」と言わんばかりに隅々まで貼られた紙によって描かれた世界には,一種独特の迫力があります。正直言って私は山下清の絵はあまり好みではないのですが、この迫力に自分の心が圧迫されるからかもしれません。
 のちに渡欧したときには、日記はなるべく早くつけるようにしたそうなのですが、そうするとなんだか日記の記載が日本の放浪日記とは違って薄っぺらいものになってしまったそうです。山下清の場合、しばらく体内で体験を熟成させる必要があったのかもしれません。また、本書で見る限り、パリの絵などは、日本のとは違って妙に立体感があります。ヨーロッパの空気は立体的だったのかな。


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