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2017年02月23日06:53

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強力洗剤

 「洗剤一滴でこすらなくても油汚れがすっと取れる」といった宣伝を時々やっていますが、日本で売れるためには「ご飯のおねば」についても同じことが言えた方がよいのではないか、と私には思えます。茶碗や炊飯器にこびりついたアレを「一滴」ですっと取ることができたら、とっても嬉しいと思いませんか?

【ただいま読書中】『シンドラーのリスト』トマス・キニーリー 著、 幾野宏 訳、 新潮文庫、1989年(95年10刷)、720円(税別)
https://www.amazon.co.jp/dp/4102277013?tag=m0kada-22&camp=243&creative=1615&linkCode=as1&creativeASIN=4102277013&adid=0VH8CZ9YDYXWG9ZFG97T&
 ドイツ軍のポーランド侵攻にくっついてポーランドのクラクフにやって来た実業家オスカー・シンドラーは、メルセデスなどの大きな車が大好き、大酒飲みで金遣いは荒く、妻とは別居中でドイツ人の愛人とポーランド人の秘書ともよろしくやっている(しかもそのことを誰にも隠そうとしない)、軍にはべったり、という「美徳」とはほど遠い人間でした。シンドラーが頻繁に出入りするプワシュフの強制収容所で行われている行為もまた、美徳の正反対でした。
 しかし、本書は「美徳」に関する本です。
 すでに1939年に、シンドラーは、測量技師・警察官・防諜部員など「友人」を周辺に集めていました。共通点は、ナチス体制に居心地の悪さを感じ、ユダヤ人に同情的であること。落ち目だったらわかりますが、ナチス絶頂期です。日本はナチスの勢いに目がくらんで、40年に日独伊三国同盟を締結していますが、すでにこの時期に「ナチスの次」を想定していた人々が活動を開始していたのです。シンドラーはひそかに動き始めますが、それに目を留めたユダヤ人からも協力者が生まれます(彼らはシンドラーを「生きた避難所」と見なしていました)。
 こういった「友人」や「協力者」は、シンドラーの商売(工場を手に入れ拡張し売りさばく)にも役立ちました。そしてその事実は恰好の煙幕としても機能します。どんな行動をするにしても「金儲け」は動機として誰にもわかりやすい理由ですし、特にそこから賄賂をもらう役人たちには、シンドラーの行動はすべて非常に説得力があるように見えました。
 シンドラーは、台所用品製造から、兵器製造にも手を広げます。それで必要なのは「労働力」、特に熟練労働者です。シンドラーはそれをゲットーのユダヤ人に求めます。ユダヤ人には給料を払う必要がありませんでした(食糧配給をすればよかったのです)。ユダヤ人の側にもメリットのある取り引きです。ゲットーに閉じ込められていたら闇市に出かけるのは困難ですし、何より明日の命の保証がありません。しかし工場はゲットーの外ですから通勤途中で物資交換のチャンスがありますし、「工場に必要だ」と“信頼できるドイツ人”に言ってもらえたら、生き延びるチャンスが増えます。
 密告によりシンドラーは親衛隊に逮捕されました。それも二回。一回目は物資横流しの疑い、二回目はユダヤ人女性にキスをした疑い。しかし有力者に口をきいてもらったらすぐに釈放されました。シンドラーはそれくらい“大物”になっていたのです。
 ゲットーからユダヤ人が続々「どこかよそ」に運び出され始めました。シンドラーは駅に駆けつけ、家畜運搬車に詰め込まれていた中から自分の会社の従業員を救い出します。「熟練工はドイツの勝利のために必要だ」と理由をつけて。親衛隊がゲットーに「行動(アクツイオーン)」をする情報を得ると、従業員たちを「夜勤」のために工場に留め置きます。
 親衛隊の内部にさえ、ナチスに絶望して、ユダヤ人を少しでも救おうと努力している人間がいました。自らゲットーに乗り込んで子供たちを救い出したり、ユダヤ人およびポーランド人のレジスタンスのために身分証明書を発行してやったり、自分の命を賭けて行動したボスコ曹長がその一例として本書に登場します。
 そういったソフトなレジスタンスばかりではありません。爆弾テロなどで戦うレジスタンス組織もありました。
 クラクフのゲットーは解体され、その過程で殺されずにすんだユダヤ人は近くに新設されたプワシュフ労働収容所に放り込まれました。ゲート所長は、明確な理由もなく気まぐれに収容者を射殺することを、まるで日課のように行います。従業員が収容所で虐待され、“通勤”にも時間がかかることに耐えかねたシンドラーは、自分の工場の敷地内に「第二収容所」を自費で作ることを親衛隊に申し出ます。収容所のユダヤ人は、シンドラーの工場勤務を熱望します。与えられるカロリーは倍になり、虐待はなくなるのですから(シンドラーは、自分の許可無く警備兵が有刺鉄線の内側に入ることを許しませんでした。警備兵自身も楽な勤務なのでそれを歓迎していました)。
 1943年後半にはユダヤ人の間に「シンドラー神話」が確立していました。しかし、「シンドラーという神」は「絶対善」などではありませんでした。人間臭い、善悪両面を持った「神」だったのです。また「神話」ですから、そこには「事実」と「事実の周辺の物語」と「嘘」とが含まれていました。
 強制収容所の中では、恋も生まれていました。つるつる滑る「死」で舗装された小さな舞台の上で、落ちないように危なっかしくバランスを取り続けるカップルのエピソードには、胸が締め付けられます(密会現場を押さえられたら死刑、妊娠したらその女性はアウシュヴィッツ送りです)。
 ソ連軍が近づき、東部の収容所から囚人が移送され、プワシュフ収容所は混み始めます。ゲート所長は人減らしに腐心します。やがてプワシュフ収容所解体も決定されますが、シンドラーは工場をチェコに移転させることにします。もちろん「熟練労働者」も込みで。そこで誰をつれていくのか「名簿」が作成され始めます。「シンドラーのリスト」です。役人が認めたリストの上限は1100名。こんどは、そのリストに自分の名前を載せてもらうための熾烈な争いが生じました。その混乱の中、シンドラーは三回目の逮捕をされます。さらに「シンドラー・グループ」の男性800名はさっさとチェコに移送されましたが、女性300名はなぜかアウシュヴィッツに送られたのです。しかしシンドラーは彼女らを見捨てませんでした。
 チェコの工場は「信用詐欺」でした。なにしろノルマの兵器をまともに製造しなかったのですから。シンドラーはドイツが負けるまでとにかく時間を稼いで自分の管理下にあるユダヤ人たちを生き延びさせることに集中しました。それどころか、他の収容所のユダヤ人を少しでも引き取ろうと画策します。
 こうして戦中に確立した「神話」は戦後にもどんどん拡大していきました。しかしシンドラーは無一文になり、一旗揚げようとして二度破産をし、イスラエルからは称揚されますが、ドイツでは石を投げられました。「神話」になるのにふさわしい行為をした男は、「きわめて異常な時代」にだけその資質を発揮できたのかもしれません。だけど「実はどんな人間だったか」とか「“その後”どんな人生だったか」よりも「その時どんな行為をしたか」の方がよほど大切ですよね。


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