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2017年02月17日07:53

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上に向きっぱなしのライト

 私は自動車教習所で「ライトはアップにすると100m先まで照らす。ダウンにしたら30m」と習いました。同時に「前方100mまで先導車や対向車などがいない状況だったらアップにしろ。しかし車以外でもバイク・自転車・歩行者もアップのライトはまぶしいから、何かあるいは誰かいるのならダウンにしろ」とも教わりました。ところが最近対向車やすぐ後ろの車でライトをアップにしている(つまり私はとってもまぶしい)ものが増えた印象があります。
 そう言えば、昨年免許証の書き換えで講習を受けたとき、「夜間の事故でライトをダウンにしている車が多いので、できるだけアップにするように」という話がありました。その時は「交通量が多い都会でライトをアップにできる状況がどのくらいあると?」と思ったのですが、もしかしてその講習を真に受けて、いつでもライトをアップにする人が増えているのかもしれません。迷惑な話です。まあ、そういった人は、「ライトがアップは迷惑」という話を真に受けて、いつでもダウンにしていて事故の確率を高めていた人なのかもしれません。もうちょっとこまめに周囲に注意を払って欲しいものだ、とは思いますが、それをどうやって伝えたものか。

【ただいま読書中】『ジョン・グールド鳥人伝説』モゥリーン・ランボルン 著、 荒俣宏 訳、 どうぶつ社、1990年、4660円(税別)
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 19世紀は博物学の世紀でした。探検家が世界のあちこちから珍しいものを次々にヨーロッパに持ち帰りました。ジョン・グールドはその中で「鳥」について一種の「興行主」のような役割を果たしました。世界各地の珍しい鳥について、精密で生き生きとした版画を出版し(版画総数3000枚、大型二つ折り版(インペリアル・フォリオ)40巻あまり)、ヨーロッパに「鳥」を通じて「未知の世界」を紹介したのです。人々は彼を「鳥人」と呼びました。
 著者の曾祖母の父がジョン・グールドだそうですが、グールドの子供の記憶では、彼は「仕事の虫」だったそうです。世界中から集まる標本や情報を元に自分で下絵を描き、絵師のチームの仕事を厳しく監督、さらに営業活動も熱心におこなっていました。
 グールドの父親は王立植物園の庭師で、グールド自身も同じ職に就きました。剥製の腕も磨き、それが認められてロンドン動物学協会の剥製博物館に学芸員(および管理責任者)として採用されます。グールドは「珍しい鳥の版画は売れる」と気づき、妻を(当時最新のテクノロジーである)石版画の担当にして出版を開始します。最初の『ヒマラヤ山脈百鳥図譜』は成功。次いで「ヨーロッパ」。そこであまりに扱き使われたリアという絵師はローマに移住してしまいます。グールド夫妻は次の目標を「オーストラリア」としますが、そのときダーウィンが帰国。『ビーグル号航海記動物学編』をまとめる仕事を夫妻に依頼します。グールド夫妻は二人だけで鳥の図版55枚を仕上げました。このとき「島によってフィンチに細かい違いがあること」に気づいたのは、グールドだそうです。進化論の成立に、グールドが貢献をしているわけです。ただ、グールド自身は、リンネの分類は活用していましたが、ダーウィンの進化論については態度を明らかにしませんでした。
 オーストラリア旅行から帰国した夫妻は『オーストラリア鳥類図譜』を出版。これは絶賛されました。ついでですが、セキセイインコの魅力に取り憑かれたグールドは生きたままイギリスに持ち帰り、それでこの鳥が世界中で飼われるようになったのだそうです。
 本書には図版が豊富に含まれていますが、どれも本当にきれいです。動物学的にはあり得ないポーズを取っているものも結構あるのだそうですが、剥製をもとにポーズを取らせたからなんでしょうね。ただ「世界を知る入り口」としてグールドの鳥類図譜は19世紀のヨーロッパで大きな働きをしたはずです。今だったらネットでいくらでも写真を見ることができますが、やはり恵まれている、と思うべきなんでしょうね。動物の絶滅に関するグールドの危機意識と同じくらいのものを私たちが持っていないのは、恵まれていないようですが。


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