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2017年02月15日06:57

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東芝崩壊?

 東芝が危ないと世間で真剣に噂になっていますが、家電メーカーに限定しても三洋とかシャープとかの“実績”が日本にはありますから、「大企業」だったら安心とは言えない、ということなんですよね。そういえばバブルのころに日本企業は世界あちこちの不動産や会社を買いあさっていましたが、買われた側は「まさか日本に買われるとは思わなかった。落ちぶれたものだ」と思っていたんじゃないでしょうか。立場が変わっただけ、ということかな。しかし東芝はどこかが買ってくれるのかな?

【ただいま読書中】『シャープ崩壊 ──名門企業を壊したのは誰か』日本経済新聞社 編、日本経済新聞出版社、2016年、1600円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4532320569/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4532320569&linkCode=as2&tag=m0kada-22
 シャープ崩壊の原因は「液晶への過大な投資」の失敗とともに「権力闘争」だ、と本書ではまず断言されます。
 「シャープ」は独創性を社是としました。それはソニーと共通しています。しかしソニーと違うのは「シャープペンシルはシャープの製品です」と言ったら「ほう」という顔を一般消費者がすることでしょう。「顔がない」のがシャープの特徴になってしまっていたのです。そこで第4代社長の町田は「液晶で行く」と決定します。そういえば20世紀末は次世代の大画面テレビは「プラズマ」「液晶」「プロジェクション」がそれぞれの利点を主張していてどれが主流になるかまだわかっていませんでした。ソニーやナショナルは「大画面平面ブラウン管」で様子見を決め込んでいて、「液晶一本」の決定はシャープ社内でも「狂気の沙汰」と評されたそうです。しかし21世紀初めに液晶が大ヒット。町田はもてはやされ、自分が眼をかけていた「液晶のエース」片山(当時25人いた中でもっとも若い取締役)を次期社長に指名します。ところが、「亀山モデル」の成功に続けと投資した「堺工場」の投資が大失敗(工場はできたのですが、巨大パネルの需要が激減したのです)、12年には3760億円という記録的な赤字。町田は会長を退き、片山も社長を退きます。
 11年から権力闘争が始まっていました。会長の町田、社長の片山、そして町田の意を受けて動く副社長の浜野がそれぞれ独自に動いていたのです。堪らないのは現場です。トップからまったく矛盾した命令や達成不可能な事業計画がどんどん降りてくるのですから。ちなみに浜野が夢中になっていたのは太陽電池製造でした。この状態を当時社内では「キングギドラ経営」と言っていたそうです(キングギドラ:3つの頭がある怪獣。それぞれの口から怪光線を吐く)。
 町田が選んだ新社長は奥田でした。「王道」を歩んで出世してきた手堅い実務家です。しかしそれは人選ミスでした。会社は非常時です。そんな時に「堅実な実務家」は適任ではなかったのです。結局奥田は1年で退任しますが、この「不毛の1年」(社内での言い方)はシャープにとって取り返しのつかない時間となってしまいました。大量出血でどんどん弱っていく患者の回りで、救命救急や根本治療を放置して、包帯の材質や巻き方に関して熱心に議論していた、といった感じでしょうか。
 そして鴻海。以前から技術提携をしていた台湾の大会社が、出資をしようと交渉が始まります。しかし素早く話を進めようとする鴻海に対してシャープは腰が重く、とうとう鴻海のリーダー郭台銘(テリー・ゴウ)は「だったら、丸ごと買うぞ」と声を荒げました。シャープの煮えきらなさは、中期経営計画を自ら策定するのではなくて外部のコンサル会社(それも5つの会社)に委託したところにも見えます。自分では何も決められなくなっていたのでしょう。そこにテリーは、マスコミへを通じての口先介入・トップ会談のドタキャン・契約見直しの突然の通告、などがんがん揺さぶりをかけてきます。なんだかトランプ大統領と通底する行動パターンに見えます。
 12年、創業100周年の年、早期退職者募集に応じて予定数より多い1割の従業員がシャープを去ります。
 13年讀賣新聞に「片山会長退任、奥田に権限集中」という新聞辞令が載ります。それを読んだ片山は町田の策動だと激怒。逆に社の最高幹部を集めて、奥田に辞任を迫ります。奥田は孤立無援でした。
 人事面でずたぼろ状態ですが、自己資本率も危険な水準まで下がっていました。鴻海との交渉が膠着していたため、片山は仇敵のサムスンからの資本出資を受け入れようとします。もう何でもありです。サムスンは鴻海とシャープの仲を裂き、渇望していた複写機事業をシャープから手に入れようとしていました。そこで恩を売るためと安売りで市場が荒れることを防ぐために液晶パネルを大量にシャープから購入します。
 結局「キングギドラ」は13年にまとめて退場。新社長の高橋は株主総会で「OBには経営に口出しをさせない」と宣言します。陰では奥田に対して「しんどかっただろうに、人事のどろどろを外に漏らさなかった」と高評価をしていました。収益は改善、東京オリンピックが決定したのが追い風となり増資が決定されます。しかし、黒字になったのは一時のことで、すぐに赤字転落。権力闘争が再燃します。三洋の没落期には「沈みゆくタイタニック号の中で椅子取りゲームをしている」と内部の争いが評されましたが、シャープでも同じ轍を踏むことになります。経営陣は資金集めに奔走しますが、ハゲタカファンドでさえ相手にしてくれません。本社ビルなど売れる物は全部売り、切れる人は切り、電灯を間引くなどのコスト削減に精を出し、社員に自社製品購入のノルマを課し、ついには資本金を1億円に99%減資して「中小企業」になるという奇策まで検討されます(中小企業には税制上の優遇処置があるのです)。
 本書は、鴻海が出資に乗りだしたところで終わります。ここからタフな交渉が始まるわけで、それが「白馬の騎士」のように簡単なストーリー展開にはならないことは、私のような素人でもわかります(昨年、新聞報道などでその経過はある程度追えましたね)。しかし、ここまでのドロドロの抗争をやっていたとは、経営陣が皆で寄ってたかって会社を潰そうと“協力”していた、ということなんでしょうか? 私がシャープの社員だったら、きっと頭にくることでしょう。


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