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2017年01月26日07:17

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痛くない麻酔

 私が子供時代には、歯科で嫌なのは削られる音と、麻酔注射の痛みでした。麻酔なのに注射針をぶすぶす刺されるときが痛かったのです。ところが最近は、針が細くなったのと、あらかじめ粘膜に薬を塗って麻痺させるためでしょう、ちっとも痛くありません。文明の進歩はありがたいものだとつくづく思います。

【ただいま読書中】『歯(ものと人間の文化史117)』大野粛英 著、 法政大学出版局、2016年、2500円(税別)
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 発掘調査によると縄文時代の日本人は、虫歯を平均1〜3本持っていました。この頻度は、室町時代に「4本」になるまでほぼ一定でした。縄文人の虫歯の特徴は「根の部分の虫歯が多い」ことで、植物質の摂取が多く歯の手入れをしないから根の部分が不潔域になった、という推測がされています。
 古代中国では「虫歯は歯虫が歯質を食べて壊すことで発生する」と信じられていました。なんでも「頭が黒い、長さは六〜七分の虫」だそうです。誰が見たんでしょうねえ?
 室町時代頃から「口中医」が仕事をするようになります。口の中の疾病を専門とする医者ですが、入れ歯製作はしていなかったようです。
 江戸時代の庶民の「歯痛対策」は「願掛け」でした。奉納された絵馬にその願いが残されています。あとは、まじない・灸・様々なものを口に含む民間療法もありました。平安時代〜江戸時代に歯周病は「歯草(はくさ)」と呼ばれていました。もとは「歯瘡(はくさ)」だったのかもしれません。単に「歯が臭い」だったのかもしれませんが。
 縄文時代から「抜歯」(健康な歯を抜く風習)がありましたが、弥生時代になくなっています。ただ「お歯黒」はその文化的な継承者なのかもしれない、と著者は考えています。江戸時代には、無麻酔だったりあるいは麻酔薬を歯茎に塗ってから抜歯をする人たちがいました。弓矢とか鉄棒と木槌とかで抜歯が行われていましたが、明治直前に西洋の歯科技術が導入されると、あっという間に西洋流が日本に根づきました。
 お歯黒は、平安時代には上流階級の女性だけではなくて、貴族や武士の男子の成人の儀式でした。しかし江戸時代には女性だけの風俗になっています。男女以前に、「白い歯って素敵」ではなくて「黒い歯って素敵」の時代が日本にあったことが、ちょっと不思議な気分がします(戦国時代の宣教師や明治期にやってきた外国人も不思議に思って盛んに記録に残しています)。
 お歯黒をする女性に虫歯が少ないことが知られていましたが、この理由は「お歯黒そのものの薬理作用」と「下処理のために房楊枝で歯全体を丁寧に磨くこと」が考えられます。逆に「お歯黒は歯の表面を傷める」という主張もありました。
 インドではニーム(またはニンバ)と呼ばれる木の枝の一端を噛んで繊維状にした「歯木」で歯を磨いていましたが、これは仏教の儀式として広まったようです。日本では「房楊枝」として広まりました。要は「木の枝でできた歯ブラシ」です。日本では、ヤナギ、クロモジ、カンボクなどがよく用いられました。江戸時代後期には5本入りで五文くらいだったそうです。使い終わったら折って捨てるものでしたが、庶民は捨てずに何回も使い、房が短くなったら木槌で叩いて再生させていました。
 民間で用いられていた歯磨き粉は「塩」「磨き砂」「米ぬかを焼いたもの」などで、歯木や指につけて磨いていました。江戸中期には歯磨き粉が商品として販売されるようになり、江戸・大坂・京都の小間物屋や楊枝店がはじめは扱いました。湯屋で売ったり専門の行商人もいたそうです。
 柘植(つげ)は櫛の材料で有名ですが、固くて弾力性がある木質から、入れ歯にも加工されました。室町末期には木の入れ歯が作られるようになり、江戸時代には専門職としての入れ歯師が誕生します。西洋では上下を一体化して金属のスプリングで結合していましたが、日本では江戸時代初期から「上の総入れ歯を粘膜に吸着させる」ことで支えるようになっていました。一木造りのものや、人の抜けた歯を埋め込んだものもあります。顎や歯茎の型どりは、蜜蝋で行われました(精密に型を取らないと吸着してくれません)。最初の入れ歯師は、仏師や面打ちからの転向が多かったのではないか、という推測がされていますが、確証はありません。料金表がないので値段はわかりませんが、当時の日記を参照すると「1両以上」だったようです。庶民には手が出ない値段です。
 部分入れ歯には石製のものもありました。糸で両脇の歯に結びつけて使用しています。
 入れ歯を入れていた著名人として、本居宣長・杉田玄白・滝沢馬琴・柳生宗冬(又十郎)などが名を上げられています。
 明治になってから歯科は大きく様変わりをしました。そういえば私が子供時代には歯磨きは「ローリング法」が全盛でしたが、今は歯間や歯周ポケットの掃除も重要視されています。これまた様変わりです。ということは、これからもまた歯科は変わっていくのでしょうね。


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