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2017年01月22日09:04

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会社を堕落させる良い方法

 たとえ仕事で重大なミスをしても、それを別の人間がせっせと救済してくれる、という保証が最初からあったら、良い人は「よし、思い切って大きな仕事をするぞ」と張り切るでしょうが、ろくでもない人は「ミスしても大丈夫だもんね。よーし、平気でいい加減な仕事をするぞ」とひそかに思うでしょう。
 東電救済で政府が公的に動くのは「てめえのミスを別の人間が救済してくれる」ことを保証しているわけで、さて、東電という法人がそれで「ありがたい。必死で頑張るぞ」と思うのか、それとも「ラッキー、もう何があっても大丈夫」とだけ思うのか、さて、どちらなんでしょう? 最初から堕落している会社だったら当然後者でしょうが、それほど堕落していなくてももしかしたら堕落への道を用意してしまったのではないか、という不安も私は感じています。

【ただいま読書中】『エネルギー問題の誤解いまそれをとく ──エネルギーリテラシーを高めるために』小西哲之 著、 化学同人、2013年、1800円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4759813543/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4759813543&linkCode=as2&tag=m0kada-22
 科学的には「エネルギー」は「総量は不変」です。したがって「なくなる」ことはありません。
 まず「枯渇年数」から。これは「埋蔵量/毎年使う量」で計算されます。ところがこの「枯渇年数」を「あと○年で石油がなくなる」などと言うのは「間違い」だそうです。「埋蔵量」は、採掘技術や輸送コストおよび商品の値段によって変動します。シェールガスやシェールオイルが良い例で、新しくて安い採掘技術の導入でペイするようになると「埋蔵量」がどんと増えましたが、原油が安くなると消費量が減って「枯渇年数はぐんと延びました。つまり「枯渇」は著者にとってはそれほど重要な問題ではありません。
 著者が重視するのは「エネルギーをいかに届けるか」です。かつての「石油ショック」は「原油が届かなくなるかもしれない」というパニックによって日本で発生しました。これも「エネルギー問題」が「枯渇」とは無関係である実証例だそうです。
 著者は「石油がなくなれば新しいエネルギーに代替すれば良い」とか「エコ」という言葉で思考停止になる態度を警戒しています。前者は問題を生み出した社会に対して全くノータッチで問題を先送りするだけだし、後者は非科学的な態度だから、だそうです。
 エネルギー自体は安価です(安価でないと燃やしてしまうなんてことはできません)。では電気代やガス代の大部分は何かといえば、ロジスティックス(またはサプライチェーン)(生産、輸送、消費、廃棄までの一連の流れ)の構築と維持のためのコストです。
 ところで、私は自分が使う「エネルギーの種類」にはそれほどのこだわりはありません。私の役に立ってくれればとりあえず何でも良いです。ただ、支払いは少ない方が良いからコストは低い方が良い。
 ということは,私がエネルギーについて真剣に考えるのは「エネルギーのコストが上昇したとき」なのかもしれません。「消費者」としては当然の態度とは言えますが。本書では「賢い消費者になること」が勧められています。できたら私もそうなりたいです。


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