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2017年01月01日07:46

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図書館

 「図書館」のことを「本の収蔵庫」だと思っている人もいるようですが、私は「知のアーカイブ」だと思っています。「本」はたまたま「知」が物質化した代表の一例に過ぎない、と。今日は、私と似た感覚の図書館員が書いた本の登場です。

【ただいま読書中】『拝啓 市長さま、こんな図書館をつくりましょう』アントネッラ・アンニョリ 著、 萱野有美 訳、 みすず書房、2016年、2800円(税別)https://www.amazon.co.jp/gp/product/4622079372/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4622079372&linkCode=as2&tag=m0kada-22
 著者は「イタリアの図書館のあり方」にいろいろと不満を持っていて、他国と比較してここが遅れているここが足らない、といった指摘と改善の提案をがんがんしています。ところが私が読むと、そのイタリアでさえ「日本での図書館のあり方」と比較したらはるかに“進んでいる”ように感じられます。もっとも著者は来日して「小学校にそれぞれ図書室がある!」と感動してくれているのですが。
 著者にとって図書館は様々な「場」ですが、その一つが「文化の記憶の場」です。私の「知のアーカイブ」よりもさらに範囲が広いですね。また「過去の記録の集積所」ではなくて「未来のための場」でもあります。また「知的交流のための場」でもあり、だから、映画館・カフェ・商店などが併設されている図書館はアリだそうです。
 で、「素晴らしい図書館」を作るために必要なのが「政治家」「官僚」「住民」の理解。これがなかなか難しいそうです。みんな思惑が違いますし予算の制限がありますからねえ。
 「書庫」は過去の本が積み重ねられて時間が凍結した空間のように思えますが、たとえばヨーロッパ中世の僧院の書庫では「書写」という作業が延々と繰り返されていました。これをしなければ「本」が朽ちてしまいますから。そのためには「書写する人の教養」も確保する必要があります。スペルミスをしたら気がつかないといけませんから。だから「知の場」なのです。そういえば日本でも「写本」は明治時代まではごく普通に行われていました(一番多くおこなわれたのは「写経」でしょうけれど)。ともかく「書庫」では時間は凍結しているのではなくて、「維持」のために不断の努力が行われていたのです。インターネットの時代になって事情は変わっているでしょうが、「不断の努力」が必要なのは同じはずです。いや、「犬の時間」で変化し続けるネットに対して、別のスタンスを取り続ける必要があります。
 そうそう、電子データは改竄されてしまいますが、「ものとしての本」は“改竄”はけっこう困難です。だから“物的証拠”の保存のためにも図書館は有用でしょう。で、本のセレクトの基準は「特定の価値観」によらない「wikiの発想」を持ち込むと良さそうです。ここはネットの発想と技術を持ち込んだ方が良さそうですね。
 そうそう、最後にちょっとすごいことが書いてあります。「政治から図書館を守る、ではなくて、図書館がきちんと機能する政策を打ち出せる政府を選ぶことも我々には可能だ」と。


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