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2016年12月17日07:51

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対抗馬は本命ではない?

 ニュースアプリを眺めていたら「MacBook対抗馬」を謳う商品の紹介がありました。
 正直言って「今頃になってMacBook対抗馬?」と訝しく思います。MacBookとは次元の違う商品、というのだったらわかるんですけどね。というか、熱心に「マック(Apple社の製品)に対抗」しているよりも、「Apple社が対抗商品を出さなきゃ、と焦るような新製品」を出してくれないかなあ。他社が必死になって転けるかもしれない画期的な商品を開発して市場を開拓したあとになって「対抗馬」でシェアをさらおうとするのは“ただ乗り”企業の態度で、そんなの開発者のプライドが許さないでしょ?

【ただいま読書中】『ローマへの遠い旅』高橋由貴彦 著、 講談社、1981年、2400円
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4061151010/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4061151010&linkCode=as2&tag=m0kada-22
 先月読書した『コンニャク屋漂流記』に登場した「ドン・ロドリゴ」(本書では「ドン・ロドリーゴ」)の遭難事件から本書は始まります。
 フィリピンからメキシコへの帰途で台風で遭難したドン・ロドリーゴは、家康が三浦按針に命じて建造させていた120トンの洋式帆船でメキシコに送り届けられました。それに同行した日本使節団を日本に送り届けたスペイン大使ヴィスカイーノは強引な交渉で幕府の警戒心を煽ってしまいましたが、偶然伊達政宗と出会いそこから話が面白く転がり始めます。幕府はキリスト教禁止とオランダとの交易に傾いていますが、幕府の基礎はまだ盤石ではありません。もしかしたら次の政権は伊達政宗かもしれない、との思惑から賭けに出たフランシスコ会と、メキシコとの交易を夢見る伊達家とが交錯し、慶長使節団が結成されます。伊達政宗はガレオン船サン・ファン・バウティスタ号を建造、支倉常長を団長とする約150名の使節団は、黒潮(フィリピン→メキシコの“公式ルート”)に乗ってアメリカ大陸を目指しました。アカプルコからは陸路首都メキシコ市へ。著者は古い街道をドライブして、支倉たちが眺めたであろう景色を探します。ヴェラクルスからハバナへ、そしてそこから支倉常長たちは日本人として初めて大西洋を横断します。スペイン上陸二日前、一同は洋上で皆既に近い日食に遭遇します。これを吉兆とみたか凶兆とみたか、それはわかりません。ただ、日本出港翌日に月食があったこととなにか関連づけて思うものはあったはずです。
 セヴィーリア、コルドバ、マドリッド……メキシコとは違って、支倉たちは途中の街での歓待を固辞して先を急いでいますが、これは国王から謁見の日を指定されていたからでしょう。支倉は国王に歓迎されましたが、インド顧問会議からは「日本が貿易制限や鎖国さえする可能性があること」のレポートが国王に上がっていました。皆さん、腹に一物も二物ももっての外交交渉をされていたようです。
 支倉はマドリッドからローマを目指します。著者は支倉の“足跡”を丹念に追います。異質な風景の中をゆっくり移動するにつれ、支倉がなぜキリスト教に改宗することになったのか、その“雰囲気”が少しわかったような気が著者はしてきます。そして、粘り強い交渉の末、支倉が受洗した教会での内部の撮影を外来者のカメラマンとして初めて公式に許可されます。ただし許可されたのは「一枚」だけ。その写真も本書にありますが、「荘厳」が結晶化されて紙面に定着しています。17世紀から何も変えられていない、支倉が見たのと同じであろう内部の姿です。
 バルセロナから支倉は地中海の船旅でイタリアを目指します。ローマでは入市行進をしましたが、ローマ古図を開いた著者は、その2kmの行程の半分以上が「支倉が見たそのままの景観」であることを知ります。これはもう歩かねばなりません。
 教皇との謁見、ローマ見物(あるいは巡礼)をすませ、支倉はスペインに戻りますが、彼らを取り巻く情勢は変化していました。日本ではキリスト教徒が迫害されているというニュースが届き、使節団の動機が疑われ、支倉が望んでいた国王の返書は得られません。そして失意の船出。ただ、帰途については記録が乏しく、著者はなかなかうまく追跡ができませんでした。メキシコからフィリピンへは、北赤道海流に乗ればほぼ“一本道”です(だからスペインは、メキシコからフィリピンを植民地化できました)。しかし、オランダがフィリピン攻撃を画策しているという噂もあり、支倉はルソンに足止めとなってしまいます。やっと長崎に上陸しますが、史料は残されていません。支倉がその後、棄教をしたのか信仰を貫いたのか、それも不明です。
 本書のタイトルは「支倉のたどった長いルート」の意味もあるでしょうが、それを追跡した著者の、時空を越えた長い旅、という意味もありそうです。本を閉じて目も閉じたら、帆船が風を受けてぎしぎしという音が聞こえるような気がします。


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