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2016年12月13日06:36

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文系軽視の問題

 今の政府は露骨に「文系軽視」の態度です。「科学技術開発の役に立たない」「金を稼ぐのに役に立たない」「政府に文句ばかり言う」ことを問題にしているのでしょう。しかし、「文系」を軽視することも問題ではありますが、それよりも「ある属性の人間を、その属性ゆえに軽視する」態度の方に私は重大な問題を感じます。それって、容易に「差別の文脈」に突入しちゃいません?

【ただいま読書中】『若狭の塩、再考 ──古代若狭の塩の生産と流通をめぐって』美浜町教育委員会、2015年

 「美浜町歴史シンポジウム」の記録集(9)です。
 万葉集や百人一首に「藻塩焼き」が登場しますが、古代日本では「潅水を乾燥した海藻に注いで濃縮しその作業を繰り返して最後に土器で焼いて塩を得る」藻塩焼きが広く行われていました。それが中世から近世にかけて、海藻ではなくて砂を用いる「揚浜式塩田」「入浜式塩田」に製法が変化していきました(揚浜式は人力で海水を汲みますが、入浜式は潮の干満を利用するところが違います)。
 若狭は塩の産地だったらしく、「調」として塩が納税されていました。また、塩の流通も研究されているのですが、面白いのは、山間地からも塩が搬出されていることです。これは恐らく、山間部の「薪」「土器」と海辺の「塩」が物々交換されて、余った分が山間地からも売りに出された、ということではないでしょうか。
 本書では「製塩土器」についての研究が紹介されます。塩の運搬用に使われたと考えられる製塩土器の多くは、外側がすすけていて底が抜けています。これは、運搬中に塩が吸湿し、塩化ナトリウムよりもはるかに吸湿しやすいにがり成分の塩化マグネシウムがまず液化して底に貯まって土器に層状剥離を起こすからではないか、という考察です。そして、都に到着したらそこでまた土器ごと焼くと、にがりが抜けた乾燥した塩が手に入る(その代わり土器は割れる)ということです。なかなか合理的な行動ですね。
 「海水から塩を得る」という行動を最初に行なったのが誰か、歴史に名前は残っていませんが、すごいことをやったものだ、と私は感心します。私自身が“原始時代”に単身放り込まれたとして、同じことができるかどうか、まったく自信はありません。そもそも土器をどうやって作ればいいのかな? 薪はどうやって得たら? 製塩炉は?


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