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2016年12月09日06:51

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肯定形=否定形?

 「せわしい」と「せわしない」と、意味は同じでしたっけ? もちろん「ない」は否定形の「無い」ではなくて形容詞をつくる接尾語の「ない」なのですが、これはせわしない性格の人に対しては引っかけ問題に使えそうな気がします。

【ただいま読書中】『ヨーロッパの中世』神崎忠昭 著、 慶應義塾大学出版会、2015年、2700円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4766422066/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4766422066&linkCode=as2&tag=m0kada-22
 「中世」の定義はいろいろありますが、著者は「ローマ史」ではなくて「ヨーロッパ史」の視座から、「中世の始まり」を「メロヴィング朝フランク王クローヴィス1世の治世(481-511)」、「中世の終わり」を「15世紀後半〜16世紀前半」としています。
 「フランク王国」というと私はついつい「ガリア」として眺めてしまいますが、私自身も「ローマ史」に呪縛されているのかもしれません。このフランク王国が「西欧」の基礎となりますが、その“隣人たち”も重要です。イスラム、スラヴ、ノルマン……フランク王国は、四方から次々侵略を受けることになります。
 そういえば「ローマ史」だと「海」で重要なのは「地中海」ですが、「ヨーロッパ史」だと「北海」「バルト海」も重要になります。
 10〜13世紀の「ヨーロッパ」の軸は「神聖ローマ帝国」でした。皇帝は、外との戦争・内部での権力闘争だけではなくて、教会との関係も保ち続ける必要がありました。その複雑さが象徴的に噴き出たのが「カノッサの屈辱」でした。しかしローマ教皇も大変です。配下の地方の司教たちは軒並み領主化しています。当然、世俗政権だけではなくて自分の組織内でも宗教だけではなくて政治力や経済力を振るわなければなりません。対外的には、東ローマ帝国が宗教的・政治的・軍事的圧力をローマ教皇に加えてくれます。こちらへの対応も必要です。祝福と破門だけでことがおさまれば、楽だったでしょうにねえ。
 神聖ローマ帝国では、聖俗諸侯の自立が進み、教皇との度重なる対立により、皇帝の権威は揺らいでいきます。教皇は絶対的な権力を握りますが、それは同時に「次の教皇を選出するときに、合意が得にくくなる」という困難さも意味していました。
 都市が発達すると、都市特有の「サービスの専門家(弁護士など)」が生まれ、さらに「学校教育」も始まりました。また「アウトサイダー」の概念も生じます。「都市のアウトサイダー」として本書では「外国人」「ユダヤ人」「イスラーム教徒」「娼婦」「貧民」が挙げられています。これって、近代どころか現代にも引き継がれていますね。
 百年戦争はヨーロッパ史で重要なイベントですが、これが気候の寒冷化と黒死病発生と重なったことが戦争の悲惨さを増し、社会不安が増大して農民蜂起が各地で起きます。そして、“各国”はまるで社会実験でもしているかのように、それぞれが違った新しい「国制」を模索し始めます。イベリア半島ではレコンキスタが進行し、コンスタンティノープルは衰退していきます。そこで西欧が直面することになったのが「ロシア」と「オスマン」の2つの帝国でした。これは20世紀まで直面しっぱなしですね。
 そして、ついに宗教改革・大航海時代が始まります。ここから科学技術が発展し、ルネサンスにつながっていくわけです。
 「歴史」って、様々な要素が絡み合って少しずつ影響を与えあいながら変化をしていく過程ですから、単純な「一本道」で理解したら、簡単に「区分」したりは難しい、ということは本書でよくわかりました。複雑だから難しい、だけど、複雑だから面白いんです。


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