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2016年11月30日07:00

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楽器の演奏

 「楽器は一切演奏できない」という人は、たぶん、いません。たとえば何の訓練も受けていない人でもカスタネットやトライアングルは鳴らせるでしょうし、ピアノだって単音なら鳴らせるはず。つまり、身体のどこかが動く人は何かの楽器は“演奏”できるはずです。“上手く演奏”できるかどうかは、別の問題ですが。

【ただいま読書中】『アコーディオンの罪』E・アニー・プルー 著、 上岡伸雄 訳、 集英社、2000年、2500円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4087733300/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4087733300&linkCode=as2&tag=m0kada-22
 一旗揚げようとシチリアからニューオーリンズにやって来た「アコーディオン職人」は、厳しい現実に直面します。アイルランド人と黒人が港で“美味しい仕事”を独占していて、シチリア人(とイタリア人)には沖仲仕しか残されていないのです。
 実はここですでに本書の“通奏低音”が示されています。多数の民族のるつぼ、厳しい生活、そして音楽。
 アコーディオン職人は緑色のボタン・アコーディオンを作り、死に、アコーディオンは“旅”を始めます。
 ドイツ移民のところではドイツの民謡を演奏しますが、第一次世界大戦でドイツ系の住民は敵視・差別され、ドイツ移民(とアコーディオン)の運命は暗転します。
 大恐慌の時、「アメリカ人」になろうと努力していた「メキシコ人」は、「こいつらのせいで仕事がない」と責められて辛い目に遭います。しかしそこでも緑色のアコーディオンは修理を重ねられながら音楽を奏でていました。
 本書を読んでいて、私は「音楽」を感じていました。一つ一つの章は短めで、まるで楽譜の1小節ずつを文章化したようにしたものがまとめられてまとまった一つの部分になっています。そして、一つの「主題」が登場し、その変奏が登場し、別の「主題」が登場し、その積み重ねで「アメリカの移民社会の歴史」が 「音楽」のように奏でられていきます。ただ、アコーディオンを手にする人びとは、ほとんどの人が悲惨な人生を歩んでいます。努力しなければ何も得られず、努力しても報われない。これが「名もない移民たちの人生」なのでしょうか。でもアコーディオンはまったく自己主張せず、演奏する人の指使いに素直に従ってさまざま音楽を奏でます。なんだかそのアコーディオン独特の響きが、遠くから聞こえてくるような気がします。


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