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2016年11月25日07:17

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有害図書の告白

 かつては手塚治虫のマンガでさえ有害図書扱いされた過去がありますが、たとえば「これは猥褻な有害図書だ」と宣言する人はつまりは「私はこの程度のものでみだらに興奮します」という告白をしている、ということなんでしょうか。

【ただいま読書中】『黒のトイフェル(上)』フランク・シェッツィング 著、 北川和代 訳、 早川書房、2009年、700円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4150411921/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4150411921&linkCode=as2&tag=m0kada-22
 3年前に読書した本ですが、同じ著者の『知られざる宇宙』を先日読書したのを機会にその存在を思い出し、もうすっかり記憶が薄れているので再読することにしました。面白いことに、読む進む内に記憶が蘇ってきて、一種の「デジャブ」を味わうことができます。ただ「あらすじ」は記憶から出てくるのですが、文体が持つ香りというか味わいは記憶からは出てきません。もしかしたら記憶は「論理」や「記号」を保存するのは得意でも「感覚」の情報を保存するのは不得意なのでしょうか?
 13世紀のケルン。「都市の空気は汝を自由にする(農奴であっても都市に逃げ込んで1年が経てば、もう自由民扱いとなる)」という言葉がすでにこの時代のドイツで生まれていたのかどうかは知りませんが、ともかく田舎からケルンに逃げ出した「狐のヤコプ」は、自由な、しかし極貧の生活をしています。それとは対照的に、都市の支配階級は、何か陰謀を企んでいて、その邪魔になる者は容赦なく排除(要するに殺すこと)をしていました。普通だったら交わらないはずのヤコプと貴族が、一瞬交叉してしまいます。それはヤコプにとっては不運でした。1グルデンを得、そのかわりに殺し屋を差し向けられることになったのです。
 このあたりの文体は「闇の雰囲気」です。ひたすら重苦しいスリルとサスペンス。貧乏人の暮らしはもちろん苦しいものですが、貴族の生活も決して明るくはありません。陰謀と外部との権力闘争と内部の権力闘争とが常に支配者たちにつきまとっています。
 ところがヤコプが「西国一きれいな鼻の持ち主」であるリヒモディスと出会ってから、文章の雰囲気ががらりと明るくなります。特にリヒモディスの父と伯父との議論(というか、悪口の言い合い)は漫才顔負けのやり取りです。特にリヒモディスの伯父のヤスパーは「頭を使うこと」を知っています。これは当時の世界ではとても珍しい資質のようです。


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