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2016年11月23日17:56

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地震予知の前のワンステップ

 地震の予知は難しそうです。ただ、何も手がかりがないところでの予知が難しいとしても、「手がかり」がある場合の予知はどうでしょう。たとえば「東日本大震災」では本震の二日前、「熊本」では「一日前」に「前震」があったわけです。だったら、1回地震があったらそれが「本震」なのか「前震」なのかの判断はできません? もし「前震」だと判断できたら「次に本震が来るぞ」と「予知」できることになりますが。もしもそれさえできない(実際に起きた地震の正しい評価さえできない)のだったら、もう「地震予知」なんて努力は、無駄でしかないと私には思えます。

【ただいま読書中】『ポンコツズイ ──都立駒込病院 血液内科病棟の4年間』矢作理恵 著、 集英社、2016年、1400円(税別)
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 「タフガール」として、遊びも仕事もばりばりやっていた著者は、身体の不調にも悩んでいました。あまりの不調に飛び込んだクリニックでは、「これはなんらかの疾患」として血液内科に紹介されてしまいます。著者の希望で受診した都立駒込病院では「これはなんらかの血液疾患」として、すぐに入院を、との宣告。著者は「否認」が機能しているのか、骨髄検査を受けても「セカチューの骨髄検査で長澤まさみの痛がりかたは、オーバーアクティングだ」なんて感想を持っています。入院して2週間、遺伝子レベルまで検査して下された診断名は「特発性再生不良性貧血」。要するに、本来はせっせと血液の細胞を製造している骨髄がストライキをしている。その原因は自己免疫。
 治療法は、対症療法としては、輸血。もっと突っ込んだ治療法は、骨髄移植。
 同胞間骨髄移植(兄弟姉妹からの骨髄移植。HLAの適合率は25%。著者の場合は兄が対象)は著者は受けられなかったため、次の手段はATG療法となります。これはウサギで作った免疫グロブリンを点滴して、造血細胞をせっせと壊しているT細胞を押さえることで造血機能の回復を見込む療法です。これは、病気が早期発見された場合にはけっこう有効な療法だそうですが、著者はあまりに長く“我慢”をしていたためでしょう、1年効果を待っても全然効きませんでした。それどころか、副作用のてんこ盛り。
 著者は自身の重症化のことを「沖を漂流中」と表現しますが、そういったときの友が真の友です。著者は「ワルの情の厚さも重症化する」なんて偽悪的に表現していますが。
 ATGが効かないとなると、次は「非血縁ドナーからの骨髄移植」です。そこで著者は悩みます。臓器提供意思表示カードに「○」を書くのに著者は悩みませんでした。役に立つのなら使って欲しい、とシンプルな発想です。しかし「もらう側」に立つと、悩みが生じます。それでもレシピエント登録に踏み切ったのは「骨髄は再生可能」だからでした。
 まずデータベースでHLA型の検索。HLAはA座B座C座DR座それぞれに2つ、計8つの型があり、そのすべてが同じ(フルマッチ)人が見つかる確率は非血縁者では数百万分の一。しかしDR座の1座だけ合わない場合はフルマッチとほぼ同じ移植成績になります。著者とHLA型が合いそうな人は数人、そこに日本骨髄バンクから郵便が送られ「OK」の返事を待ちます。著者の場合3人もOKをくれました(ドナーの検査費用はレシピエントがもつので、その請求書から人数はわかるのです)。そしてついにドナーが決定。
 めでたしめでたし……ではありません。実はここから著者の人生最大の「悪夢」が始まるのです。
 まず「ドナーの骨髄細胞」が定着できるように、「自分の骨髄細胞」を全部殺します。全身に放射線をかけ、致死量ぎりぎりのエンドキサン(抗癌剤)を投与。「もう死ぬ」というところで、ドナーの骨髄細胞を点滴します。ところが、エンドキサンの点滴が地獄の苦しみでした。吐くものがなくても吐き気が続き、幻覚が見え、薬のまれな副作用で心臓が弱ります。そして放射線照射。全身が焼けるような感覚です。
 やっと前処置が終わって、本番の骨髄移植。見た目にはただの点滴でしかありません。ところがここで著者はまれなアレルギー反応に苦しみます。免疫は破壊してあるはずなのに、骨髄移植の経験豊富な主治医も見たことがないくらいの反応が出てしまいます(著者は、健康なときにもアルコールアレルギーがすごいし、病気になってからもやたらとアレルギーが出る体質でした)。そして、心臓が止まりかけます。血圧は、上が49下が38。意識があるのが不思議です。
 枕元に駆けつけた家族や友人と最後のお別れをすましたら、あら不思議、心臓が復活。よかったよかった、と安心して10日後にまた瀕死の状態に。主治医は「このままだと余命2日」と宣告します。で、ここであきらめるか、奇跡的な回復を期待して気管内挿管をするか、の決断が著者本人にゆだねられます。
 ……この本が書けたのですから、著者が死んでいないことは“大前提”なのですが、それでも読んでいて胸が締めつけられます。ただ、著者は“思い入れたっぷり”ではありません。どことなく自分自身をも突き放したような場所から自身の闘病記を語り続けます……というか、闘ってはいませんね。著者は自分の病気と一緒に生きているようです。あるいは「自分の病気」というか、「病気とともにある自分の肉体」に魂が寄り添って一緒に生きている、ということなのかもしれません。
 著者が自分で「文章力は高くない」と言っています。たしかにその傾向は認められますが、でも、ライブ感覚の「骨髄移植体験記」には、少々の文章力の問題など吹き飛ばしてしまう「ちから」があります。


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