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2016年11月21日06:52

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政治将校

 旧ソ連軍では、軍人とは別に「政治将校」が配属されていて、軍の政治的コントロールをしていました。純粋な軍人にはものすごく仕事がやりにくかったそうです。敵に勝つ最善の戦術であってもイデオロギーの観点から却下されることがありますから。
 文化大革命の時には、全国で、たとえば病院でも「毛沢東思想」が幅をきかしていました。「正しい思想」を示さなければ、いくらきちんと患者を治療しても評価されないわけです。これも一種の「政治将校」と言えそうです。だけど、軍事や医学に「政治」を持ち込んで、幸福になるのは、誰です?

【ただいま読書中】『はだしの医者 ──中国の医療革命』大森真一郎 著、 講談社現代新書、1972年、230円
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 「驚異の中国医学」の実例として、1963年に世界で最初に「切断された腕の接合手術」が中国で成功したこと、が紹介されます。そして65年には腕よりもっと難しい手の指の接合にも成功した、と。
 ここで私は首を傾げます。それより少し後、リーダーズダイジェストの記事で、カナダでの切断された指の接合手術に成功した話を読んだ覚えがあるのですが、そこでは「標準手順では、まずビニール袋に切断された指を入れて密閉、それを氷水につけて運搬することになっている」とあったのです。理屈はわかります。切断面を直接氷水につけたら浸透圧の関係で組織が痛みますから。問題なのは「標準手順」の部分。もしかしたら、「世界で最初の成功例」と思っているのは中国だけなのでは?という疑問を持ってしまいました。で、調べてみたら、世界で最初の成功例は1962年マサチューセッツ総合病院のようです。
 文化大革命の時代、日本では結構好意的に報道されていましたっけ。「赤い表紙の毛沢東語録を握りしめて恍惚とした表情で語る人民」なんて姿がニュースに登場しているのを見た記憶がありますが、そこから現在の私が連想するのは「偉大な首領様」を湛える北朝鮮の人たちです。
 「聾唖者に鍼治療」の話もあります。独学の鍼医者がまず自分の身体に針を刺して効果を確認してから患者のツボに針を刺したら、生まれてから言葉を発したことがなかった女の子が「毛沢東万歳!」と言えたのです。いや、私は「鍼治療の効果」は身をもって知っています。ただ「毛沢東万歳!」と言わせるツボがあるとは知りませんでした。
 「はだしの医者」には、養成機関はありません。素人が現場で修業することで「医療衛生員」となり、農村での生産にかかわりながら治療も行っていました。大昔の「医者」が修業で育てられたのと発想は似ています。システミックな教育ではなくて、現場での体験と修行(と毛沢東思想)とで育てられる「医者」です。「とにかく医者の絶対数が足りない」「近代医学を導入する金がない」という中国の国の事情が大きいのでしょうが、もう一つ、毛沢東自身が近代医学に不信感を持っていたこと(『毛沢東の私生活』(李志綏)に具体的に書いてあります)も大きな要因でしょう。もう一つ「人民公社の治療機関を農民が使える」ことは、政府に対する人民の信頼感を増す、という政治的効果もあったでしょう。また「貧農の子でも、はだしの医者を真面目にすることで認められて医学専門学校に選抜されることがある」という“サクセスストーリー”も作ることができました。
 本書が発行された「昭和40年代の日本」は、今とは別の国です。一億総中流・終身雇用・中国に対しては低姿勢……そうそう、医者は威張っていましたね。そんな状況で日本は「はだしの医者」から“教訓”を得ようとしていました。「医療者の奉仕の精神」「社会全体での取り組み」などは今でも有効でしょうね。「西洋医学一辺倒ではなくて伝統医学も活かす」も。ただ、たとえば薬には「作用」だけではなくて「副作用」もあるように、「イデオロギーの医学への導入」や「はだしの医者制度」にも“副作用”があるはずなのに、まるで「そういったものはあり得ない」といった態度で礼賛する態度は、昔も今も好ましいものとは私には思えません。


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