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2016年11月05日07:15

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ジャンルSF

 昭和の昔、SFは「マイナーなジャンル」でした。「SFの壁」の内側に立てこもったファンと作家が、「自分たちはSF者である」ことを拠り所に世間の迫害と偏見に耐えながら生きていた、といった感じ。そこに「文学の香り」を吹き込もうとした人たちもいましたが(たとえば「ニューウェーブ運動」)、彼らの“立ち位置”はあくまで「SFの壁の内側」でした。
 しかしやがて「優れた作家が“SFも”書く」時代がやって来ました。その一例が本日のオースン・スコット・カードです。
 日本だったら(時代に早すぎたけれど)安部公房とか,最近だったら宮部みゆきとか円城塔が良い例と言えるでしょう。「優れた作家は、SFを書いても優れた作品を生み出す(こともある)」と一般化しても良さそうです。

【ただいま読書中】『無伴奏ソナタ(新訳版)』オースン・スコット・カード 著、 金子浩・金子司・山田和子 訳、 早川書房、2014年(1985年初版の新訳)、1000円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4150119406/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4150119406&linkCode=as2&tag=m0kada-22
目次:「エンダーのゲーム」「王の食肉」「深呼吸」「タイムリッド」「ブルーな遺伝子(ジーン)を身につけて」「四階共用トイレの悪夢」「死すべき神々」「解放の時」「アグネスとヘクトルたちの物語」「磁器のサラマンダー」「無伴奏ソナタ」

 トップの「エンダーのゲーム(短篇)」を初めて読んだのは1980年代のいつか。すごい衝撃でした。その2〜3年後、こんどは長篇版の「エンダーのゲーム」を読んで、さらなる衝撃を受けてしまう、とはその時には予想していませんでしたっけ。
 「エンダーのゲーム」は「子供兵」についての物語でもありますし「ゲームとしての戦争」に関しての先駆的な物語でもあります。「無垢」と「残酷さ」が紙一重であることや、人が心理的に追い詰められたらどのようになるか、もよくわかります。初めて読んだときには私は「エンダー」に感情移入をしていましたが、今回は「エンダーに“ゲーム”を強いることを強いられた大人たち」の方も視野に入ってきました。30年を私は無為に過ごしていたわけではなさそうです。
 「王の食肉」の残酷さは、生半可ではありません。しかし、「残酷なことをした人」を簡単に断罪できない事情がある場合、人はどのようにすれば良いのか、読了後ももやもやした感覚が後を引きます。
 「死すべき神々」では「死」が崇拝の対象となっています。この作品を読んで読者は(特に死が近づいてきたことを意識している人は)自分の人生を振り返りたくなるでしょう。「生の意味」と「死の意味」を考えながら。
 もっと心のやわらかいところに触れてくるのが「無伴奏ソナタ」です。人がすべて幸せに過ごせる“システム”の中で、音楽の天才なのに音楽を奪われて生きることを強いられるクリスチャンが、指を奪われた手でどのように演奏し、声を奪われた喉でどのように歌うのか。音楽の美しさの中に凜と存在する悲しさをこれほど見事に文字で表現できた作品を私は他にすぐには思いつきません。
 著者に、心からの喝采を送ります。


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