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2016年10月14日07:12

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ただの水

 ミネラルウォーターの空きボトルを捨てようとして、ちょっともったいなく感じたので水道水を詰めて冷蔵庫に入れてみました。そのまま飲んでも特に大きな問題は感じませんでした。

【ただいま読書中】『まだなにかある(下)』パトリック・ネス 著、 三辺律子 訳、 辰巳出版、2015年、1700円(税別)
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 セスの世界には映画「マトリックス」は存在しないようです。「ガメラ」の世界に「亀」が存在しないのと同様に。だからセスは自分の頭で自分の状況を判断するしかありません。しかし、人類がすべて棺桶の中に閉じ込められて電脳世界で“生きて”いる、というのは本当でしょうか? それならセスが“目ざめた”この世界が電脳世界である可能性は? さらにセスは、自分が「物語」の中の登場人物かもしれない、なんてことまで思いつきます。また、自分の意志で電脳世界に移行しそこで自分の意志で生きていたのなら、人を傷つけあう「クソのような世界」にどうしてなってしまうのか、と疑問を抱きます。人は「もっと良い世界」に生きたい(行きたい)のではありませんか?
 刑務所には「棺桶」がずらりと並んでいました。人びとはその中にこもって「世界」を生きています。定期的な筋肉トレーニング、髪や爪が伸びないようにするホルモン剤投与、栄養剤と排泄物の処理……ある意味「完全な世界」です。だけど……
 そしてセスは「真相」を知ります。自分が弟を殺したのだ、と。だけど……
 本書では「わかった」と思った瞬間、世界はまたくるりとひと皮剥けて別の姿を見せます。夢から覚めた、と思ったらそれは「夢から覚めた、と思ったまた別の夢」であるかのように。P・K・ディックの世界のように。目の前の世界には「まだなにかある」のです。
 本書に登場する人たちは「世界が自分を中心にして回っていないこと」に苛立ち、その不満をぶつける対象を探し回っています。しかしセスはいつのまにか「自分が大切に思う存在のために自分が動くこと」を自分が選択できることを知ります。この世界は残酷で不条理ですが、だからこそセスの“覚醒の瞬間”は圧倒的です。さらにセスは、自分の人生に常に求めていた「これ以上のもの」を、自分が無視(または否認)していただけであることも発見してしいます。
 しかし本当に“すごい物語”です。物語を物語り、でも物語を物語りません。主人公が死ぬところから始まり、そして「終わらないこと」でエンディングを迎えます。やっぱりパトリック・ネスは、すごいや。


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