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2016年09月11日06:20

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昔の日本

 高度成長期前、私は小学校の社会科の授業で「臨海工業地帯」が日本のあちこちにあると習いました。各地の地場産業も習いましたが、その中に「広島県備後地方のイグサ」がありました。見たことがないぞ、と思ったら、畳に使う藺草で、それなら毎日見て触っていました。
 今の社会科では日本のことをどう教えているのかな、と思いますが、それよりも、畳を見ることがずいぶん減ってしまいましたね。我が家でも和室は一部屋だけです。私の家の中でも「昔の日本」は失われつつあるようです。

【ただいま読書中】『備後表 ──畳の歴史を探る』広島県立歴史博物館、1990年

 藺草は世界中の温帯〜寒帯の湿地に自生しています。日本列島で藺草が使用され始めたのは、少なくとも弥生時代までは遡れます。最古の出土品は、お棺の中で遺体を包んでいた筵です。古墳時代にも副葬品を包んだ筵が出土しています。同時代のオリエントの遺跡、イラクのアル・タール洞窟遺跡でも日本と同様に、筵は遺体や器物を包む目的で使用されていました。
 古墳時代以降には、有力氏族の住居に寝所として「床(とこ=寝台)」が登場し、その敷物として畳や筵が用いられるようになりました。平安時代には貴族の住居に「置畳(おきだたみ=床に敷き詰めるのではなくて、要所要所に畳を配置する))」が使われるようになりました。この時代の畳はすでに現代の畳とほぼ同じ形(畳表・畳床・畳縁で構成される)になっています。鎌倉時代初期には畳はまだ「人の動きに応じて動かすもの」でしたが、鎌倉時代末期には一部の家ですが「部屋全体に敷き詰められたもの」となっています。つまり畳が「家の構造の一部」になったのです。普及すると差別化も起きます。畳に座る人の身分に応じて畳の縁の文様を変えるように規定されることになっています。これがのちに「家紋入りの畳縁」になり「畳の縁を踏んではいけない」という教えにつながっていったのでしょうか。
 室町時代には「備後筵」という言葉が登場します。これは畳表をしめすものと考えられているそうですが、この頃から「特産品」として名前が知られるようになったようです。この頃から書院造りや寺社などで敷き詰めて使われるようになっています。
 江戸時代、特に元禄頃から市中の民家でも畳が敷き詰められるようになりました。需要の増大に伴い、畳職人なども増加します。「北斎漫画」にも畳屋が登場します。
 私が子供の頃には「畳替え」が定期的に行われていました。知らない人には説明が必要かな。「畳の交換」ではなくて「畳表の張り替え」のことです。高度成長期の前には家具も少なかったから、よく晴れた日に畳を全部屋外に出してそこで畳職人さんがぶっとい畳針を操って鮮やかに畳表を張り替えていました。あの光景を見なくなってからもう何年(何十年?)になるでしょう。


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