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2016年09月01日07:06

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PTAの少子高齢化

 子供会や学校のPTA行事は、ベースは「村の共同体」で、頻度は「高度成長期」が基準となっているように私には見えます。つまり、地域共同体に属する若い親がわんさかいた時代にいろんな活動を盛んにやっていた。親も若いから少々の無理ならやっちゃいますし、役員のなり手もたくさんいました。
 ところが現在は「少子高齢化」「晩婚」の時代。クラスは小さくなり、地域共同体も親も昔よりは元気がなくなり、それで高度成長期と同じだけの“お仕事(ボランティア)”をこなせ、という方が無理でしょう。
 それでもPTAは、これまでと同じでないといけません? というか、PTAって、何のために必要なんでしたっけ?

【ただいま読書中】『非常識な建築業界 ──「どや建築」という病』森山高至 著、 光文社新書802、2016年、780円(税別)
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 最初に「新国立競技場問題」、つぎに「市立幼稚園の建て替え問題(市がコンペを行い、最終審査に残った一つが「緑化型(壁面緑化、屋上緑化)」。園長先生が「虫がたくさん寄ってくるのでは?」と問うと建築家は「殺虫剤で解決」と答えた)」が紹介され、こういった日本中で見られる問題は「どや建築」というキーワードで一元的に理解できる、と著者は提起します。
 「新国立競技場問題」ですっかり無能集団扱いされてしまったJSC(日本スポーツ振興センター)ですが、実はしっかりした(バリアフリー化、サブトラック建設などを含む)長期大規模修繕計画を立てていました。ところがある日「神宮外苑再開発計画」が天上から降ってきてすべての計画はご破算に。そして「オリンピックなどのために新国立競技場建設。期間はないけれど頑張れ」の責務がJSCに押しつけられました。押しつけた人? 政治家・ゼネコン関係者・開発利権者……まあ、日本ではよくある話です。
 ジャック・デリダは「脱構築主義」を唱えました。1990年代から「脱構築主義」を旗印に、様々な奇天烈な建築物を作る一派が登場しました。本書にはその建築が数例写真で紹介されていますが、いやあ、たしかに奇天烈です。で、著者はそういった建築物を「どや建築(どや顔をした建物)」と呼びます。
 しかし、不安定に見えても、少々の地震では壊れないようにしっかり構築されているんでしょ? どこが脱構築なんだか。見かけだけの脱構築って、デリダのことばから脱走しているように私には思えました。
 ザハ氏は若い頃には、構造そのものも脱構築で、を目指すとんでもない設計(何の支えも無しに構造物の断片が中空に浮いている、とか)をしていました。だから「アンビルドの女王」になってしまったわけですが、著者は一時ザハ氏の支持者でその仕事を手伝っていたこともあるそうです。
 日本では1970年代から、それまで大工が作るものだった住宅に建築家が進出しました。その中でも若手たちは、自己表現として「新しいコンセプトの住宅」を次々設計しました。そしてその流れは、公共建築物にも及んでいきます。そして、バブル期以降に活動し始めた若手は「オリジナル幻想(オリジナルでなければ意味がない)」に毒されている、と著者は辛辣です。
 しかし「自己表現」「オリジナル」ときたら、それは芸術家の態度ではありません? 自分の芸術作品を他人の金を使って作ろう、というのは、ちょっと都合が良すぎるのでは? 「売れなくてもいい。自分の作品を気に入ってくれた人が買ってくれれば良い」と、自分のリスクで作品を作るのが絵描きなどの芸術家だと私は思っていたのですが。さらに、芸術作品を買う人は、それを自分の家なり美術館なりに飾ることを想定してそれを飾ったら自分が快適になる、と思うのですが、芸術作品としての家を買った人はその中で快適に住めているのでしょうか? 建築家はそこまでフォローしています?


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