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2016年07月26日07:20

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ライブ読書

 「本の読み聞かせ」というのは、音楽でいうなら「ライブ」ですよね。観客の反応を見ながらの“生の演奏”です。すると本は、音楽なら「楽譜」(演奏者(=語り手)が解釈するもの)に相当するのでしょうか。

【ただいま読書中】『石井桃子 ──児童文学の発展に貢献した文学者』筑摩書房編集部 著、 筑摩書房、2016年、1200円(税別)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4480766367/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4480766367&linkCode=as2&tag=m0kada-22
 1933年のクリスマスイブ、石井桃子は仕事(翻訳など文藝春秋社でのアルバイト)がきっかけで家族ぐるみの付き合いとなった犬養毅家のパーティーに招待されます。そこで犬養家の子供たちにプレゼントされた原文の「くまのプーさん」に出会います。プーさんの物語は石井桃子の心を鷲づかみにし、周囲のすすめもあってその翻訳に取り組みます。最初の版が出版されたのは1940年のことでした。
 当時桃子は、山本有三が提唱した「日本少国民文庫」の仕事に取り組んでいました。時代に逆らうかのようにこの文庫からは『幸福の王子』『ジャン・クリストフ』『点子ちゃんとアントン』など優れた作品が子供向きに翻訳されて出版されました。しかし当時の「児童文学」について桃子は満足していませんでした。子供たちが読んで本当に面白いものとは思えなかったのです。そこで女友達2人と「白林少年館出版部」という会社を立ち上げ『たのしい川邊』『ドリトル先生アフリカ行き』を出版しました。42年には岩波書店から『プー横丁にたった家』が出版されます。……42年?
 終戦の日、桃子は開拓を始めます。農業で自給自足の生活を目指したのです。しかし農場は行き詰まり、借金返済と農場経営続行のために、50年に岩波書店に入社、岩波少年文庫の編集責任者を務めます。この世に存在する「美しくあたたかいもの」(優れた外国の小説)を優れた日本語で子供たちに紹介する、という石井桃子のポリシーがそのラインナップと出版されたものに現れています。そして、戦争中に書いた小説『ノンちゃん雲に乗る』がベストセラーとなってその印税で農場は一息つきました。
 54年から1年間アメリカに留学。47才で児童文学の勉強をやり直します。さらに、アメリカの児童図書館が、単に子供に本を貸す場所なのではなくて、創作活動と出版を支援し、できた本を購入して子供に良い本を届ける文化的な使命を果たしていることを知ります。帰国後、石井桃子は本の読み聞かせ運動など様々な活動を展開します。公共の図書館が充実するまでは、私的に活動しよう、というわけです。
 石井桃子が101才の人生を通して考え続けた「子供に良い本」とは、子供だましの本ではなく、大人にとって都合の良い本のことでもありません。その子供の人生を豊かにし、その子供だけではなくてその子供の周囲にもその豊かさを波及させる効果を持った本のことでしょう。私自身も「子供に良い本」をこの年になっても読むのが大好きです。


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