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2016年07月19日07:04

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検査だけで十分?

 会計検査院は、予算の執行自体に口を挟む権限を持っていないと、単に「言っただけ(事後追認)」になってしまいません?

【ただいま読書中】『帳簿の世界史』ジェイコブ・ソール 著、 村井章子 訳、 文藝春秋、2015年、1950円(税別)
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 古代から「帳簿」は存在していました。商人には必須でしょう。国家は、国王の“質”によって帳簿(会計)は重視されたり無視されたりしました。ただ、ローマ数字では計算が大変です(たとえば「893」は「DCCCXCIII」なのですから)。
 著者はここに「宗教」を持ち込みます。一神教は「神との契約」が基本です。「契約」とは単なる「約束」ではなくて、「借方」と「貸方」の「バランス」が重視されます。つまり、西洋の「会計」「帳簿」「契約書」にはすべて「神との契約」が反映されている、というのです。ところがキリスト教会(カトリック)は「金儲け」を軽蔑して、キリスト教徒が金貸しをすることを禁じていました。そのため商人はきちんとした帳簿の重要性を認識できません。(ただしキリスト個人は「帳簿」はともかく「会計」の重要性を認識していたからこそ、ローマの徴税人だったマタイを教団にスカウトしたのではないか、と著者は述べています)
 12世紀の北イタリアは、商業に関して世界の中心でした。商業都市国家は競争をしつつ発展をします。そこでは「会計」「統治」「責任」の観念が飛躍的に進歩しました。そこにアラビア数字とアバカス(木製の算盤)が登場、計算が容易に行えるようになります。そして、イタリアのどこか(おそらくトスカーナ)で誰か(おそらく複数の人間)が複式簿記を“発明”します。それを真っ当に活用する人もいれば二重帳簿で悪用する人もいるし、まったく無視する人もいました。複式帳簿自体は数百年前にすでに“完成”していました。それを人がどう扱ったか(扱わなかったか)、それが「帳簿の歴史」です。
 1949年『算術、幾何、比および比例全書(略称「スムマ」)』(世界初の複式簿記の教科書)が出版されます。著者のパチョーリは「誠実な取り引き(の記録)は、商人だけではなくて神に対しても良い」と考えていました。しかし会計は軽視され、この本は長く無視されました。スペイン帝国が本気で会計に取り組むことになったのは、植民地の赤字が主因で帝国が傾いてからで、残念ながら会計改革は帝国の崩壊を救うには手遅れでした。国の統治者が会計の重要性をきちんと認識して国の経営に取り入れたのは、オランダからです。ただし、オランダは「責任ある政府と財政」の確立には成功しましたが、その維持には失敗をしました(世界初の株式会社東インド会社がきちんとした経営で成功すると、その果実だけをきちんとした手順抜きで得ようとする人がぞろぞろ登場するのです)。
 “太陽王”ルイ十四世は、(少なくとも単式の)簿記を理解し(最初は)国家財政に真剣に取り組みました。宰相のマザラン家の財務担当をしていたコルベールは、王の側近に取り立てられ、王が理解できるようにきちんとした帳簿をつけます。そして王に求められたらすぐに見せることができるように、ポケット版の帳簿を発明し、そこに国家財政の最新データを写して常に持ち歩いていました。しかし国王は「赤字」を突きつける帳簿に少しずつ苛立ちを感じるようになり、コルベールの死後、「赤字をなくすように国家を運営する」のではなくて「赤字を見ない」ようにします。かくして18世紀のフランスは中世式の国家運営を続け、失態を続けることになります。
 18世紀のイギリス政府も決して褒められた財政運営ではありませんが、民間のウェッジウッドは素晴らしい会計をしています。当時「信心と几帳面な会計によって富の蓄積ができる」が常識だったイギリス社会で、確率の概念と綿密な原価計算によって会社を繁栄させたのです。
 会計を「幸福」に応用したのがベンサムです。快楽と苦痛を複式帳簿方式で記録してその「差」を見よう、というのです。
 フランス政府は破産状態となり、困り果てたルイ十六世はスイス出身の銀行家ネッケルを財務長官に任命しました。ネッケルはせっせと仕事をし、徴税システムを改革します。既得権が脅かされた層はネッケルを執拗に攻撃し、ネッケルは反撃のために財務資料を公開します。もっとも、膨大な軍事費などの5000万リーヴル以上の支出は「これは特別支出だから」と除外した上で「国家財政は1020万リーブルの黒字」としたいい加減なものではありましたが。しかしその内容に国民はショックを受けます。当時のフランスでは3%の貴族が90%の富を独占していたのですが、国家支出もあきらかに貴族寄りなのがはっきり見えるようになったのですから。結局ネッケルは罷免されますが、民衆のショック(と怒り)は持続しました。ちなみに「マリー・アントワネットの名前を使った首飾り詐欺事件」での首飾りのお値段は200万リーブル(約30億円)。この数字の大きさも民衆にショックを与えました。
 ネッケルはアメリカにも影響を与えました。建国の父たちは「会計」の重要性を認識し、まるで「共同出資者たち」のように行動したのです。会計的な注意深さで建国されたのは、アメリカが初めての例だそうです。
 「会計」や「帳簿」は会社だけのためのものではなくて、「政治」とも密接にかかわっていることがよくわかります。それと「倫理」とも。ところで現在の日本の財政は、きちんと正直に現状が公開されているんでしょうね? 政治家たちに「倫理」はあるんでしょうね?


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