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2016年06月24日07:28

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トラブルへの対処法

 1)誰かに丸投げをする。
 2)トラブルの“原因”の人、あるいは丸投げをしたのに解決をしてくれない人への悪口に熱中する。
 どちらにしても、自分は解決への努力を求められずに済みます。

【ただいま読書中】『こんな写真があったのか ──幕末明治の歴史風俗写真館』石黒敬章 著、 角川学術出版、2014年、1600円(税別)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4046532971/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4046532971&linkCode=as2&tag=m0kada-22
 明治時代に「有名人の写真絵葉書」は人気がありました。現在その代表のように扱われることがある「坂本龍馬の写真」ですが、明治初期には「龍馬」自身が無名でその写真は出回っていませんでした。坂本龍馬の名が知られるようになったのは、明治16年から土陽新聞(高知新聞の前身)に坂崎紫瀾が龍馬を主人公とする「汗血千里駒」という小説を連載してからです。それ以降、私蔵されていた「龍馬の写真」が市場に出回るようになりました。なお「龍馬の写真」は8種類あるそうで、意外にたくさん写していたんですね。
 「写真がない」ことで有名なのは、西郷隆盛。現在伝わる「西郷隆盛の肖像」は、本人と面識のないイタリア人画家エドアルド・キヨッソーネが描いたものです。ただし「よく似た人」顔を合成して作り上げたそうです。上野の山に西郷の銅像が建立されその除幕式がおこなわれたとき(ちなみにこれは日本で「除幕式」という言葉が使われた最初だそうです)、西郷夫人の糸子が「宿んしはこげんなお人じゃなかったこてぇ」と言ったことを根拠に「あの顔は実は違う」説が唱えられましたが、その時参列したお歴々からは全然顔についての異議がでなかったことから本書では糸子のことばは「こんな浴衣姿で散歩するような人ではなかった」という意味だろう、とされています。というか、あれは狩猟のシーンですから、ますます浴衣姿は似合いませんよね。
 トリック写真も登場します。道具や背景をトリックで作ったり、フォトコラージュをしたり、「デジタル」がない明治時代でもいろんな工夫をしています。ヌード写真もあります。髷のヌードは、なんともミスマッチな感じがしますが、当時の人たちにとってはどんな感じのものだったのでしょう?
 明治20年8月19日に撮影された皆既日食の写真もあります。露出は2秒だったそうですが、けっこう鮮明に写っています。というか、その露出時間をどうやって計算したんでしょうねえ。日食を撮影するなんて、初めての経験でしょ?
 明治29年6月15日の三陸大津波(当時の言い方では「海嘯」)の写真もあります。瓦礫の山、死体、家が流された跡、陸に打ちあげられて置き去りとなった船……歴史は繰り返しています。人は忘れても、写真は残します。
 明治期の沖縄の写真という珍しいものもあります。あの頃の沖縄の人たちの生活は、実際にはどんなものだったのでしょう?


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