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2016年05月26日06:55

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武器と理屈

 武器を作るのに、それを正当化する理屈はあまり必要ありません。需要があれば供給があるのですから。
 武器を使うのには、少し理屈が必要になります。
 では、持っている武器を使わないことには、どれくらい理屈が必要でしょうか? とってもたくさん?それとも理屈は無用?

【ただいま読書中】『19歳の小学生 ──学校へ行けてよかった』久郷ポンナレット・久郷真輝 著、 メディアイランド、2015年、2000円(税別)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4904678737/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4904678737&linkCode=as2&tag=m0kada-22
 ペン・ポンナレットさんは1981年に神奈川県海老名市海老名小学校に転入しました。16歳でした。それから3年間、彼女は「小学生」として過ごすことになります。
 ペン・ポンナレットさんは1964年(東京オリンピックの年ですね)カンボジアのプノンペンで生まれました。ここで私の脳には「クメール・ルージュ」ということばが浮かび上がります。父は国立図書館の館長、母は教師、住むのはプノンペン……一家が悲劇に放り込まれるのは、歴史を知っている人間からは確定事項ということになります。だけどもちろん、そんなことを当時の人々は知りません。人々が平和に暮らしていた国に内戦が始まり、プノンペンに「解放軍」と名乗るポル・ポト派の兵士たちがやって来ます。「アメリカの爆撃」を口実に、彼らはプノンペンの100万人の住民を一斉退去させようとします。無茶です。日本陸軍が香港を占領したときに100万人の口減らしをしようとしましたが、強権を用いても2年間かかっています。それをポル・ポトはたった1日でやろうとしたのです。口では「3日間だけの避難」と言っていましたがいつまで経ってもプノンペン郊外で野宿する誰も帰ることを許されません。やがて、強制移住・強制労働の日々が始まりました。大家族だったポンナレットさん一家は、父姉母妹と、どんどん人数が減っていきます。10歳で地獄に放り込まれ、それでもなんとか生き延びていたポンナレットさんは、4年後に栄養失調と過労と虐待とマラリアで死を覚悟します。しかしそこで奇跡的に兄と再会。さらにポル・ポト派の軍事的敗北が。強制労働の村からやっと解放された兄妹は、遠い親戚を頼ろうとしますが、その人は遠くに引っ越していました。そこに「地獄に仏」が。さらに日本にいる姉からの手紙が奇跡的に届きます。そこには「タイにある難民キャンプに向かうように」とありました。
 カンボジアは再び内戦状態になっていました。生き残りの人々は国境を目指します。しかしそこはポル・ポト派の支配地域。毒蛇や地雷を避けながらの道行きです。命からがらやっと難民キャンプに到着。そこで待っていたのは、各種の手続きでした。「難民である」ことを書類で証明しなければならないのです。
 到着した日本の夜景は「夢の国」でした。しかし入れられた大和難民定住促進センターは粗末なプレハブでした。そこにいることができるのは3箇月。その間に日本語の日常会話と簡単な漢字を覚え、スーパーの使い方も習います。昼食と夕食は提供されますが、朝食と日常雑貨は自費です。1週間に千数百円が支給されますがそれではとても足りません。なんだかとてもけちくさい「難民支援」に思えます。
 そして、ポンナレットさんは「ペン・マリ」という名前で小学校に入学することになったのです。戦争に奪われたローティーンの時代を少しでも取り戻すことができていたらよいのですが。3年間の学業を終え、ポンナレットさんは、夜間中学に通いながら、自立することにします。
 巻末の娘さんの話では、ポンナレットさんは日本の小学校の3年間で「読み書き」を学ぶことによって「人生」を得たのだそうです。そのことで中学・高校に進学でき、本書を書くこともできたのです。そして、人生の伴侶も「読み書き」によって得ることができたようです。
 薄い本ですが、重い内容です。今の生活が決して永遠に保証されているわけではないこと、だからこそ今の平和が大切であること。そして、「赦し」の大切さ。本書は子供向けの本のようですが、大人も読むべきだと私は感じます。


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