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2016年04月30日07:13

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本当に真犯人しか知り得ない事実

 怪しげな裁判で検察の主張の根拠が「被告が『真犯人しか知り得ない事実』を白状した」だけである場合があります。これって、危うくないです? 本当に「真犯人しか知り得ない事実」(たとえば死体の遺棄現場)を告白して、それに基づいて捜査をしたら本当に死体が見つかった、だったら良いのですが、「真犯人と警察しか知らない事実」(たとえば死体発見現場の状況、傷口などからわかる殺害の手口、など)を容疑者が述べた場合、それは警察が容疑者に教え込んで“白状”させた場合があります。つまり「真犯人しか知り得ない事実」と「真犯人と警察しか知らない事実」は峻別した方が良いでしょう。少なくとも、もしも私が裁判員になった場合には、峻別するつもりです。

【ただいま読書中】『第1感 ──「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』マルコム・グラッドウェル 著、 沢田博・阿部尚美 訳、 光文社、2006年(09年7刷)、1500円(税別)
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 人の「瞬間的な認識力(適応性無意識)」についての本です。時間をかけてデータを集めて判断するよりも、直観的な判断の方が正しい場合が多い、というのです。
 ここで私は二つのことを思います。
1)人の直感は正しい。
2)直感で判断・行動をした後、論理がその「正しさ」を後追いで保証している。
 さて、どちらの方が実際には多いのでしょうか? もしの2)が正しいとしても、論理が直感の“奴隷”だったら、自己検証は無理なのですが。
 ところが本書では、「直感」が「実は分厚いデータの上に成り立っている」からこそ「正しい判断」ができる、とあります。つまり、直感がやみくもに“サイコロ”を振っているのではなくて、様々なデータを無意識に採集してそれを“正しい切り口”で並び替えることで判断をしている、というのです。逆に言えば、その“正しい切り口”を使えない人は、判断を間違える(あるいは判断できない)ことになります。殺人現場で、名探偵と凡庸な探偵とでは“見ている世界”が全然違う、ということですね。
 見た瞬間にその美術品が偽物かどうか判断できる専門家。テニス選手がサーブを打つ瞬間にダブルフォールトになるかどうかが判断できるコーチ。夫婦の会話を短時間聞いただけで将来離婚するかどうかがわかるカウンセラー。これらは「専門家」だから、ではないそうです。実際に著者は離婚カウンセラーからそのコツを聞き出すと、ある程度夫婦の状態がわかるようになってしまったそうです。
 もちろん無意識が間違えることも多くあります。たとえば人種差別。慎重に無意識を測定するテストでは、北米に住む黒人でさえ黒人差別の無意識を持っているのです(ふだんからそういった文化的な圧力を受けているからでしょう)。あるいは身長。アメリカの会社経営者では、異常な%で高身長の人が多くなっています。人の無意識が、能力ではなくて見上げることができる人を選択してしまっているようです。
 面白いのは、瞬間的に判断するためには情報が過剰に存在しない方が良いことです。本書に登場する商店で、並べたジャムの種類が多い方が売り上げが減った、という例が紹介されています。買い物に来た人は選択肢が多すぎると直感的に選択できなくなってしまったようです。
 軍人や警察官の行動にも直感は大切です。じっくり腰を据えて考える暇がない場合がありますから。ただ、その場合に間違いを犯さないようにあらかじめトレーニングをしておく必要があります。そのためには、自分がどのように直感を働かせているのかについて、無意識に任せるのではなくて、もう少し自覚的になる必要もありそうです。自分を知るって、難しいんですけどね。


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