mixiユーザー(id:235184)

2016年04月20日06:55

152 view

万博の思い出

 大阪万博に私は春休みに1週間くらい友人と二人で行くことができましたが、覚えているのは大阪のバスの回数券が5円刻みで、100円分買っても5円しかおまけがついてこなかったこと(私の住んでいた地域では100円で10円のおまけでした)。肝心の万博会場で覚えているのは、行列と行列と行列だけです。

【ただいま読書中】『万博と戦後日本』吉見俊哉 著、講談社(講談社学術文庫)、2011年、1050円(税別)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062920611/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4062920611&linkCode=as2&tag=m0kada-22
 大阪万博・沖縄海洋博・つくば科学博・大阪花と緑の博覧会・愛知万博……これらの万博は、「戦後」という時代の中で何を象徴していたのか、あるいは何を隠蔽していたのか。「万博」という「軸」で貫いて見ることで「戦後」の新しい切り口を示そう、という本です。
 著者がまず取り上げるのは映画『家族』(山田洋次監督、1970年)です。高度成長期の日本を舞台に、炭鉱が閉山したため九州から北海道を目指す一家は、大阪で万博(とそれに殺到する殺気立った人の群れ)を目撃します。「高度成長」と「夢」と「それと無関係な庶民の姿」が実にみごとに対比されている、と著者は述べます。
 池田勇人主張の「所得倍増計画」は「国家の目標」だけではなくて「国民の目標」となり、日本は高度成長を果たしましたが、そのかげで日本の政治と経済は独特の結び付きをするようになりました。「中央集権的な開発主義体制」です。そこに咲いた“花”が万博のようです。堺屋太一は「万博は興行だ」と述べましたが、著者は「開発と興行の構造的一体化」こそが万博ブームの本質だ、と考えています。
 1930年代に「オリンピック」「万博」「弾丸列車(新幹線)」が構想されていましたが、これらはすべて1960年代に具体化しました。国家による「総力戦体制」は敗戦によっては途絶していない、と著者は考えています。たしかにGHQは官僚制を温存していましたっけ。ただし「前と同じスローガン」ではいけませんから「高度成長」「科学技術」「人類の進歩と調和」を上に被せるわけです。
 大阪万博のテーマ委員会で基調となったのは「人類は不調和に直面している。それを越えるために知恵が必要だ」という現状認識でした。それがいつのまにか「進歩と調和」「万博はお祭り」にすり替えられてしまっています。さらに、多くのパビリオンは「進歩」だけを強調する姿勢のものになってしまいます。しかし、日本政府・大阪府・関西財界・各種委員会の間の“非協力体制”“責任の押し付け合い”には、うんざりしてしまいます。まあ、今回の東京五輪でのごたごたを見たら「これは日本の伝統」とも言いたくなりますが。ただ、「大阪万博」で新しく認識された事実があります。「大衆の(日常意識・欲望・思想などの)決定的な変容」です。大衆が「パワー」を持つようになったのです。
 「万博が結局誰のためのものか」が怪しい点では、沖縄海洋博も大阪万博に負けていません。あれは「沖縄のためのもので、効果も沖縄にきちんと出た」と言えるのか、私は疑問を持っています。私はこの博覧会は見に行きませんでしたが、ずっと後になって“廃墟”は目撃しました。その時上記の疑問を感じたのです。万博計画策定で、知識人たちは極めて真摯に様々な指摘や提言をしています。ところがそれらは結局「ブレイン・ストーミング」でしかなく、事務局は事務局で自分のしたいことをする、というのは、大阪から愛知まで首尾一貫しています。万博に関して「戦前の体制」はしっかり保存されている、のは確実なようです。やれやれ。


1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2016年04月>
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930