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2016年04月13日07:08

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読んで字の如し〈草冠ー24〉「菌」

「黴菌」……「黴(カビ)と細菌」という原義を知らない人は意外と多い
「細菌」……痩せている菌
「菌根菌」……菌の根っこに巣食う菌
「常在菌」……菌は常に在る
「淋菌」……淋しい菌
「滅菌」……消滅する菌
「納豆菌」……豆を納める細菌
「大腸菌」……胃を通過中でも大腸菌
「菌糸」……菌でできた糸
「糸状菌」……糸のような菌
「善玉菌」……芝居で善玉の役を演じる菌
「真菌」……本当の菌
「乳酸菌」……乳を酸にする菌
「抗菌」……菌に対するヒトの反抗
「抗酸菌」……酸菌に対するヒトの反抗

【ただいま読書中】『なぜエラーが医療事故を減らすのか』ローラン・ドゴーズ 著、 入江芙美・林昌宏 訳、 NTT出版、2015年、2500円(税別)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4757160615/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4757160615&linkCode=as2&tag=m0kada-22
 原題はフランス語で「エラー賞賛」という非常に挑戦的で逆説的なものです。その“真意”を掴むことが、本書を読む目的となります。
 私たちの遺伝子は細胞分裂で日常的にコピーされていますが、1000文字につき1回のエラーが生じています。エラーの99%は修正されるため、最終的に生じるエラーは10万回に1回となります。生じたエラーで、便益のあるものは保護され、有害なものは排除されます。これが自然選択です(さらに、エラーを許容する、という社会選択もありますが、それは別の話)。つまり進化論の“本質”は「エラー」です。それがなければ我々は今でもバクテリアです。
 医療は複合系システムです。しかもそれぞれのシステムは近代的できわめて複雑となっていて、人がそのすべてを把握することは不可能となっています。いきおい、ある確率で必ずエラーが生じます。そしてそのエラーは「イノベーションの源」として機能します。そもそも医学そのものが「人体のエラー(=疾病)」を研究することから始まっています。すると、「エラーはあってはならない」と全否定する態度は、医学の実態も医学の本質も全否定する態度、ということになります。さらに「エラーを全否定」するためには、法外なコストがかかります。しかし「エラーでどんどん人は死ぬべきだ」は困ります。ではどうするか?
 個人が犯罪あるいは犯罪的なミスをした場合には「犯人の処罰」には意味が生じます。しかし、社会システムの不備が「原因」で、「犯人」と目された人は「たまたまそこに遭遇しただけの人」だった場合に、「犯人の処罰」にどんな意味が生じるでしょう? 被害者(とその家族)にサポートは必要ですが、「社会システムの不備の修復」も必要なはずです。しかし日本では「被害者と家族のサポート」も「システムの修復」もサボる口実として「個人の処罰」が好んで用いられているように私には見えます。本書の記述を見る限りフランスでは少なくとも「システムの修復」は視野に入っているようですが。
 再発防止のために「間違ったよいアイデア」はたくさんあります。「システムの欠陥の単純な修復(システムの他の部分にひずみが出ます)」「データベースづくり(複雑なシステムのエラーは実に様々で、類型化は困難です)」「有害事象にはベンチマーキング(水準基標)が可能(シンプルな因果関係によるものにだけ可能です)」。
 著者は「エラー」は様々な原因の組み合わせで発生するのだから、「同じエラーの再発防止」に血眼になるよりは、「システムの弱点を見つける」ために活用しろ、と述べます。さらに「成功事例」ももっと活用するべきだ、と。人は「失敗事例」に注目します。しかし、柔軟な対応で事故を未然に防いだ「ヒヤリ・ハット事例」に直面した人たちはもっと賞賛されるべきでその事例を集積して研究するべきだ、と著者は言うのです。
 本書は、他罰感情が強い人には受け入れ難い本でしょう。ただ、「感情」ではなくて「論理」を用いるタイプの人には、参考になる記述が多くあるだろう、と私には思えます。さすがにエラーを「賞賛」しようとまでは思いませんが。


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