mixiユーザー(id:235184)

2016年04月10日07:17

326 view

檄を飛ばす

 スポーツ中継などでよく「監督が檄を飛ばしました」なんてことを言っていますが、「檄文」という言葉が示すとおり「檄」が「文書」であることをご存じないのでしょうか? あの言い回しを聞くたびに私は背中がむずむずします。もしかして、くだんの監督さんたちは、せっせと選手にお手紙を書いているのでしょうか? それとも単にマスメディアの人たちは「激励」の「激」と「檄を飛ばす」の「檄」の区別がついていないだけ?

【ただいま読書中】『図書館の魔女(下)』高田大介 著、 講談社、2013年、2600円(税別)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062182033/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4062182033&linkCode=as2&tag=m0kada-22
 上巻は分厚かったのですが(約650ページ)、下巻はなんと800ページ! いやいやいやいや、これだけのボリュームを必要とする物語を読める、というのは、読む前からニヤニヤしてしまいますな。
 一ノ谷に迫る危機から国を守るため、マツリカは「戦線縮小」を提案することにします。版図を広げすぎているから戦費がかさみ、そのため国力が削がれている(マツリカの言葉を借りたら国力が「赤字になっている」)のです。一ノ谷に侵攻を画策しているアルデシュは、直接の脅威となってはいますが、実はアルデシュにはアルデシュの事情がありました。内部では大干魃で飢饉となり、北方の強国ニザマからは強い圧力を受けていたのです。ニザマはニザマで、内部分裂を抱えていました。
 そういった事情を、わずかな手がかりから“読み”解いていったマツリカは、魔法のような解決策を思いつきます。
 しかし、ニザマの魔の手はマツリカにも及んでいました。刺客によってマツリカの利き手は麻痺させられ、手話ができなくなってしまったのです。それでもマツリカは「三国のすべてに利がある解決策」を推進します。自ら使節団の一員となってニザマに乗り込んでいくのです。そこでの何層にも重ねられた言葉のやり取りは、著者が非常にわかりやすく解説してくれるからこちらにもなんとかわかりますが、外交交渉の難しさの片鱗がちょっと伝わってくるような気がします。実際にはこんなにトントン拍子には話は進まないでしょうけれどね。
 結局、マツリカ(とキリヒト)は、あろうことかニザマの帝と一緒にアルデシュの辺境の軍事要塞に匿われることになってしまいます。ニザマではクーデターが起き、寿命がもうそれほど残っていないと自覚した帝は、各地にせっせと手紙を書きます(これは文字通り「檄文」です)。公的な使命をとりあえず果たしたマツリカたちは、こんどはマツリカの“ことば”を奪った刺客を追及します。マツリカの“ことば”を取り返すために。ここでの剣戟場面は常識外れの悪夢の重厚さですが、安易に映像化することが難しいようになっています。ことばだと描写は可能なんですけどね。
 ソシュールは言葉はシニフィエとシニフィアンから成ると言いましたが、本書ではシニフィエとシニフィアンの“間”にも何かが存在していて、それが「ことば」の本質に大きな役割を果たしている、と言っているように私は読み解きました(これはあくまで私の読解ですので、他の読み方をする人の方が多いかもしれません)。マツリカとキリヒトは、まるでシニフィエとシニフィアンのように寄り添いながら、世界に向かって「一つの言葉」を発します。世界はその「言葉の内容」だけではなくて「二人の姿」を目撃することによっても変容していきます。はじめは単なるボーイミーツガールもののようにも見えた本書は、「ことばファンタジー」とでも呼びたいような構造を内包していました。しかもマツリカが使う「ことば」が「手話」ですから「シニフィアン」のところをどう処理したら良いんだ、と私の言語中枢は悲鳴を上げています。でも、たぶんこの「悲鳴」もまた「ことば」なんでしょうね。


1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2016年04月>
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930