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2016年04月07日06:53

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ロシアのお風呂

 「ロシアの風呂」と言われてどんなイメージを持ちます? 正直言って、私はどんなイメージも湧いてきませんでした。だからこんな本を読むことにしました。

【ただいま読書中】『風呂とペチカ ──ロシアの民衆文化』リピンスカヤ 編、斎藤君子 訳、 群像社、2008年、2300円(税別)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4903619087/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4903619087&linkCode=as2&tag=m0kada-22
 ロシアで公衆浴場が誕生したのは11世紀。コンスタンチノーブルから帰国したエフレーム主教は、ギリシアの修道院でおこなわれていたホスピス(巡礼への無償の医療サービス提供)や多人数のための風呂(教会に入る前に身を清める沐浴の場)をロシアに初めて持ち込みました。ロシア暦6597年(西暦1089年)の年代記にその記録があるそうです。家庭の風呂については、スラヴ民族が独自に発達させた風呂小屋やペチカがあるそうです。ペチカと言えば暖房器具かと私は思っていましたが、調理器具・寝床・治療器具・風呂でもあるのだそうです。ロシア語の「バーニャ」は「入浴の行為」と同時に「入浴をする場所(施設)」も意味しますが、この「入浴」とは「蒸気浴」のことだそうです。
 北ロシアとシベリアでは(蒸気浴の)風呂小屋が普及していました。ウクライナに隣接する南部ロシアでは家の中に木製の桶を置いて水浴をしました。中部と南部ロシアではペチカの中で蒸気浴をしました。
 ……ペチカの中? ペチカは人一人が入れるくらい大きくて、その中で蒸し料理もおこないます。だから「生身の人体」も蒸すことができるわけです。水桶を持って中に入り水を回りに撒けば、そのままパーソナルな蒸し風呂になります。ただ、裸で入るところを一家の人間全員に見られることになりますが。ペチカが大型化して人が入れるくらいになったのは16世紀頃からのことで、だから「ペチカで蒸気浴」はそれよりは新しい風習のはずです。
 「ロシア式風呂」はなかなかユニークです。「黒い風呂」というのが主流なのですが、これは「煙突なし」なのです。煙りも小屋の中に充満し、あちこちの隙間から外に出て行きます。熱エネルギーは無駄になりにくいですが、小屋の中は煤で真っ黒になる、だから「黒い風呂」です(ちなみに、煙突があるタイプは「白い風呂」です)。風呂小屋では男女混浴で、しっかり温もると外にそのまま飛び出て川に飛び込んだり雪の中を転がり回り、それからまた風呂小屋に入る、を繰り返すのだそうです。18世紀末に男女混浴禁止令が元老院から出され、以後は曜日ごとに男女別になったそうです。蒸気を発生させるためには、熱した石を水を入れた桶に放り込むやり方が主流でした。
 「入浴」には、治療効果も期待されていました。そこではマッサージや摩擦もおこなわれ、出産もわざわざ風呂小屋でおこなわれることがありました。呪術効果も期待されていたらしく、結婚前の花嫁は蒸気浴をしていました。祖先の追善供養の日に死者のために風呂を焚く風習もありました。
 ドニエプル川流域のトリポリ文化遺跡から紀元前3世紀の粘土で作られた小さな「ペチカ」が出土しています。このオーブン式かまどは少しずつ発展し、巨大化し、19世紀〜20世紀初めには、標準的な百姓家の1/4〜1/5を占めるようになっていました。人は、ペチカの中で調理をしパンを焼き、部屋の暖房をし、ペチカの上で眠り、下で鶏を飼い、そして中で蒸気浴をするようになったのです。ただし「入浴」は「料理の後」でした。料理の余熱を捨てずに利用する、という、ある意味合理的な行動だったわけです。汗をかくし煤まみれにはなりますが、それを洗うのはペチカの外に出てからです。
 それにしても、人が出入りできるくらいのかまどを作ろうと最初に思った人は、何を考えていたんでしょうねえ?


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