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2016年04月03日06:50

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波は上がったり下がったりするもの

 健康状態や運不運や景気には「波」があります。その「波の推移」を無視して悪いときだけ(あるいは良いときだけ)騒ぎ立てる態度は、注目を浴びるには良いでしょうが、全体を見ていない点で信頼性に乏しい態度だと、私には思えます。

【ただいま読書中】『リスクにあなたは騙される ──「恐怖」を操る論理』ダン・ガードナー 著、 田淵健太 訳、 早川書房、2009年、1800円(税別)
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 「9・11」の直後の1年間くらい、アメリカ人は飛行機に乗らなくなりました。代わりに自動車での移動を増やしました。「テロの恐怖」ゆえです。その結果何が起きたか。ベルリンのギゲレンザーは「移動手段と事故死」について前後10年分のデータを解析し、9・11以後の1年間に飛行機から切り替えることによって自動車事故で死亡したアメリカ人が1595人発生した、と結論を出しました。彼らは「自動車事故」で死亡したように見えますが、実は「恐怖」によって死亡したのです。飛行機の方が自動車より事故死亡率は低いのです。
 1974年カーネマンとトヴェルスキーは『不確かな状況下での判断──ヒューリスティックとバイアス』という論文を「サイエンス」に発表しました。人は特定の状況下では“必ず”間違えることを示した論文です。ここで示された3つのヒューリスティック(経験則と同義)は「係留規則」「代表性ヒューリスティック」「実例規則(利用可能性ヒューリスティック)」でした。リスクに対する人の認識と反応では、これらのヒューリスティックが重要な働きをしています。
 人は「感情や直感」と「理性」でものごとを判断しています。「感情や直感」による判断は迅速ですが「感情的」で非論理的です。「理性」は論理とデータを使って判断しますが、判断には時間がかかり、しかも「感情」に引っ張られがちです。この「引っ張られる」傾向が「ヒューリスティック」を生み出します。
 特に「感情」が影響されやすいのが「恐怖」です。原始時代の本能が現代人の中にも残っているらしく、「恐怖」を感じたら人は瞬間的に「闘争か逃走か」を選択しようとします。論理的には大間違いの行動が選択されても、感情に引っ張られている論理は「なぜこんな行動を選択したか」を“論理的”に説明しようとします。
 こういった「恐怖」によって間違った選択をする傾向を助長するのが、「恐怖を煽ることで利益を得る人たち」の行動です。多くの企業のマーケティング戦略で、製品を売るために恐怖がテコとして使われています。さまざまな例が具体的に紹介されていますが、日本でわかりやすいのは、健康食品やサプリの宣伝でしょうね。メディアや政治家ももちろん恐怖を煽ることで自分の利益を最大にしようとします。
 「何かが危険である」ことと「何かがどのくらい危険である」こととは分けて考える必要があります。しかし「感情や直感」は「何かが危険である」と聞くとその「何か」を危険視します。本書には「犯罪」「化学物質」「テロ」などが詳細に論じられ、「感情や直感」がいかに間違った対策を立てさせ、その結果人類が損害を被っていることが示されています。落ちついて読めは゛(「理性」を働かせたら)そのことは実によくわかります。しかし「感情」は叫ぶんですよね。「恐い!」と。
 そうそう、本書を読んでいて気になったことがあります。「理性」を働かせたら「リスク」には適正に対応できそうに思えます。ただ、「倫理」は「理性」よりは「感情」の側に属するもののように私には思えるのです。だったら「理性だけ」を働かせると、その対策は「非倫理的」なものになってしまう恐れはないのでしょうか?


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