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2015年11月07日06:31

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失楽園

 アダムとイブは楽園から追放されましたが、神がエデンの園を消滅させた、という記録はなかったはず。ということは地球のどこかにまだそれは残されているはずです。だけどその痕跡は見つかりません。すると、もしかしたらエデンの園は、地球外に存在していた?

【ただいま読書中】『胡椒 ──暴虐の世界史』マージョリー・シェファー 著、 栗原泉 訳、 白水社、2015年、2400円(税別)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/456008405X/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=456008405X&linkCode=as2&tag=m0kada-22
 しわしわの見栄えがしない粒をかじると口の中にとんでもない刺激が。これを料理に不可欠のものと認識した人は、一体誰だったのでしょう? 少なくとも古代ローマではすでに胡椒は貴重品扱いでした。そういえば世界史の授業で「胡椒は同量の銀と交換されたことがある」なんてことを習ったこともありましたっけ。
 「胡椒は、腐りかけた肉の匂いを誤魔化すために使われた」という説がありますが、それは嘘でしょう。高価な香辛料を買える金持ちは、新鮮な肉も買えますから。中世のレシピでは、これでもか、というくらいの大量の香辛料が料理に投入されています。まるで「スパイスたっぷりのご馳走は金持ちの証明」であるかのように。いや、実際にそうなのですが。
 大航海時代をもたらしたのも「胡椒」でした。イスラム商人を経由せずに「インド」から直接胡椒を得るために、アフリカ回りの航路が開拓されました。ただしこの運動には、「失われたエデンの園を探す」という欲求も重ねられていたそうです。ヨーロッパにエデンの園がないのだから、それは東洋にあるに違いない、という理屈だそうです。航海に乗り出すポルトガル人のモットーは「スパイス、魂」、スペイン人は「黄金、栄光、福音」でした。
 中国も、少なくとも西暦2世紀には胡椒を知っていて、10世紀には東南アジアとスパイス交易をおこなっていました。15世紀(明の時代)には鄭和が大航海をおこないましたが、その目的の一つは「胡椒」でした。そして、中国の国家的な海上貿易が終了してインド洋のネットワークに大穴が開いてしまって半世紀後、ポルトガル人がやって来たのです。彼らの行動は「狼藉」「放逸」「放蕩」だったそうです。1511年にはポルトガル艦隊がマラッカを占領。占領者の中にマゼランもいたそうです。
 世界で6番目に大きな島のスマトラは、ヨーロッパでの胡椒需要の増大に応えて、森はどんどん切り開かれて農園となり、土壌が枯渇すると草原になっていきました。胡椒が地勢を変えたのです。オランダは胡椒貿易で成功し、それで焦ったイギリスは1600年に東インド会社を設立します(「会社」と言いますが、エリザベス女王の特許状を得ています)。オランダは、インドネシアでのスルタンと息子の内乱に乗じて武力進出、傀儡のスルタンに他の国の商人をすべて追い出させて、胡椒貿易を独占しました。イギリスは対抗上、要塞を建設しようとします。植民地主義が台頭してきたのです。  
 やがてヨーロッパは支払いが逼迫します。胡椒以外にもヨーロッパ人が欲しいものはアジアにたくさんあったのですが(他のスパイス、お茶、綿織物などなど)、支払いに使えるものは銀以外にはろくになかったのです(たとえばイギリスからたくさん輸出可能な毛織物は、熱帯では誰も欲しがりません)。そこでお利口な人が「アヘン」で支払うことを思いつきます。たとえ植民地とは言っても、全部の原住民を奴隷化して強制労働させたのでは生産効率が悪いから、形だけでも「商取引」にしなければならないのです。
 胡椒が世界(世界史)を変えたことがよくわかる本です。それと、西洋人がアジアでいかに暴虐をしたか、もよくわかります。西洋人はアジアの人間を“遅れた野蛮人”扱いしていましたが、遠来の人間を礼儀正しくもてなす人と、そういったもてなしに対して礼も言わずに大砲をぶっ放す人と、どちらが野蛮人の態度なんでしょうねえ。食料調達のために「無数に生息する」アザラシ・ペンギン・鯨・ゾウガメなどを殺しまくっていた人たちは、「野蛮人」に対しても同じ態度だったのかもしれません。


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