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2015年10月16日06:53

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メイドの避難

 「雑居ビル火災 訓練など行われず消防が繰り返し指導」(NHK)http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151010/k10010265771000.html
 避難訓練をしていたらみな助かっていたかどうかは私にはわかりませんが、(1階から階段を伝って上に火が回っているし、煙は1秒で2階に到達します)、雑居ビルでも避難訓練はしておかないといざという時に困ったことになるわけですね。しかし、メイド喫茶で避難訓練をしたら、それはそれで客寄せになるのではないでしょうか。「宣伝効果があるよ」と消防が“指導”したら良かったのかもしれません。

【ただいま読書中】『虎屋 ──和菓子と歩んだ五百年』黒川光博 著、 新潮社(新潮選書132)、2005年、680円(税別)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4106101327/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=767&creative=3999&creativeASIN=4106101327&link_code=as3&tag=m0kada-22
 後陽成天皇以来、虎屋はずっと御所御用商人を勤めていました。菓子の名前を天皇からいただいた「御銘(ぎょめい)」も数多くあります。
 水戸光圀は特注の饅頭を注文し、吉良上野介は幕府の使者として上洛したときに虎屋の菓子詰め合わせ(カステイラ、見肥(砂糖と小麦粉を合わせた生地を棒状に切って焼いた物)、砂糖榧(かやの実の砂糖掛け)、落雁、こぼれ梅(干菓子))を贈られています。元禄期には銀座会所からは年に1回金平糖の注文がありましたが、その量が80〜100kg! 明治維新では、同じく御所御用の松屋は京都に残ることを選択しましたが、虎屋は東京に出張所を設けました。明治天皇は甘い物好きで、虎屋のお菓子に明治天皇の御銘は20以上あるそうです。
 戦前の虎屋の帳簿は「皇室」と「一般」の二種類だけでしたが、昭和16年に海軍の監督工場の指定を受け、「軍」の帳簿も加わりました。軍用菓子の主力は、羊羹(日持ちするからでしょうね)。海軍用は円筒形の「海の勲(いさおし)」、陸軍用は四角形の「陸(くが)の誉(ほまれ)」。戦死者の遺族に皇后陛下から下賜される「御紋菓」も製造します。砂糖などの材料は特配で、調理用具は金属供出から免除されたそうです。歴史が古い企業ですから、古文書も豊富にあります。東京の店は空襲を受けましたが、店員が古文書を堀の水中に持ち込んで焼失から免れたそうです。本書で紹介されるお菓子の数々と、その歴史の厚みには私は興味をそそられます。
 ただ、私は単なる甘党の食いしん坊でもあります。虎屋の羊羹を私はこれまでに1回しか食べたことがないはずですが、急に食べたくなってしまいました。


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