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2015年10月11日07:06

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戦争の原因

 「サッカー戦争」では「サッカーの試合」がエルサルバドルとホンジュラスの戦争の原因、だそうですが、実際にはそれより前から続いていた、エルサルバドルからホンジュラスへの大量の人口流入が両国の間で問題になっていて、その“燃料”にサッカーが“火口”となったのだそうです。
 たしかに「サッカー」で戦争になるのは、いくらなんでも“熱すぎ”ますよね。

【ただいま読書中】『南総里見八犬伝(下)』曲亭馬琴 著、 白井喬二 訳、 河出文庫、2004年、1200円(税別)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4309407102/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=767&creative=3999&creativeASIN=4309407102&link_code=as3&tag=m0kada-22
 しかし、500ページの文庫本というのは、それだけで「物」としての迫力があります。しかもそれが2冊です。京極夏彦の本のことも私は思い出します。私はこうしてまとめて読んでしまいますが、江戸時代の読者はおそらく薄い本を連続物として借りて読んでいたはず。読者の興味を1000ページ分もつなぎ止めるために、著者の工夫は生半可なものではなかったはずです。
 さて、下巻の冒頭は、化け猫の登場です。さらに、犬塚信乃の許嫁(操を守って死んだ女性)の魂が、同じ名前の浜路という女の子に取り付いて信乃に告白をしようとします。いやいや、伝奇小説のエンジンはばりばり高回転です。さらに、悪人どもがまたもや自分が犯した殺人の濡れ衣を信乃にきせようとしますが、そこに救いの手が。犬士が集まってくると、ただ一方的に悪人どもにやられっぱなし、というわけにはいかなくなってきたようです。さらに、狐や狸も登場して、しかもその中には犬士の敵もいれば味方もいる、という複雑怪奇さ。となるとその中で単純明快なものがますますきらりと光ることになります。たとえば「義」。
 しかし、物語の中で「義」を貫く行動があまりに賞賛されるとは、著者が生きていた時代には「長いものには巻かれろ」「義よりは利」が横行していたのでしょうか。
 それにしても、と私は思います。「正義の士」はどうして自分の心の内を仲間や善人には秘して悪人にはぺらぺら語るのだろう、どうして善意の人の勧めには必ず逆らうのだろう、と。おかげで、正義の行動そのものもやたらと複雑怪奇になってしまうじゃありませんか。
 ともかく「犬士」の力は増していきます。個人としての勇士豪傑だったのが、チームとしての豪傑たちとなり、さらにそれぞれに手下というか家来というかがついて「大将」になっていきます。そして、まずは個人的な仇討ちを開始。
 最初に「8人が全員揃わなければ、里見家には挨拶に行かない」という変な縛りをかけていたのですが、ついに8人目も見つかります。「遅れて登場」のハンディを解消するためか、日本中でやたらと活躍しています。ところで、日本各地で犬士が活躍する、ということは、日本中にその噂が充満することを意味します。勇士たちが里見家に味方する、という噂を聞いて戦々恐々の大名たちが、連合軍を結成して里見家を滅ぼそうと画策します。さあ、最後の決戦です。
 いやあ、波瀾万丈の物語。最後はちょっと駆け足でしたが、堪能できました。


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