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2015年10月04日07:04

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頭でっかち

 かつて本を読むだけで現実を知らずにエラそうなことを言う人間に対して「本を読むだけですべてがわかったつもりの頭でっかち」という蔑称がありました。今、コンピューターのモニターを見るだけで世界のすべてがわかった気になっている人に対しては、なんと言えばいいのでしょう? それともモニター画面には「世界のすべて」が表現されているのです?

【ただいま読書中】『オートメーション・バカ ──先端技術がわたしたちにしていること』ニコラス・G・カー 著、 篠儀直子 訳、 青土社、2015年、2200円(税別)
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 かつて「ラッダイト運動」がおこなわれました。「機械によって人間は生活が楽になる」と「機械によって仕事を奪われる」の対立です。「オートメーション」が導入されたのは、第二次世界大戦後、フォードの工場でした。それまでも「機械の使用」「流れ作業」はありましたがまだ人間が仕事のペースを決めていました。しかしオートメーションでは、機械が人間の仕事のペースを決めるようになります。ここで話のポイントは「機械」ではなくて「ソフトウエア」にあります。
 古代ギリシア(特にアテネ)では「肉体労働は奴隷の仕事。自由市民は思索と兵役」という「仕事の差別構造」がありました。それはヨーロッパ文明に脈々と受け継がれているようで「奴隷の仕事」は機械がすれば良い、という主張は受け入れられやすいわけです。
 さらに、コンピューターのアウトプットは非常に正確そうに見える、という問題もあります。コンピューターを信用する人は、ダブルチェックをせず、警報が鳴るまで注意力散漫でいる傾向があり、さらに非常時のスキルが低下します。皮肉なことに、システムの信頼性が高まれば高まるほど、人間は“怠惰”になっていくのです。たとえば、グーグル検索では、サーチの精度が高まるにつれて入力される検索語は曖昧さを増しているそうです。適当に入力しても「自分が望む結果」が得られるのですから。
 飛行機のオートパイロットにより、飛行機の人身事故は確実に減りました。ところが、あまりに快適な操縦性に慣れてしまって、パイロットの集中力や注意力は低下する傾向にあります。そして、オートパイロットが対応できない突発事があった場合や、オートパイロット自体が故障した場合に、“正しい対応”が瞬間的にできずに墜落事故、という新しいタイプの事故が起きるようになりました。「操縦者」ではなくて「コンピューターオペレーター」が操縦桿を握っている、という状況です。そしてこれは、おそらく「自動運転の自動車」が普及したときには、私たちの身近で生じる現象になるでしょうし、その萌芽は「ナビに頼りすぎて、とんでもない運転をしてしまう運転者」の形ですでに見えているのかもしれません。


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