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2015年08月15日07:10

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「各国」の反応

 目的がよくわからないアベ談話でしたが、ニュースで「各国の反応」として取り上げられていたのは、中国・韓国・アメリカでした。もちろん「反応が強い国」の代表ということなのでしょうが、「戦場となった地域」はこれだけではありません。たとえば、フィリピン・ベトナム・ビルマ・タイ・シンガポール・マレーシア・インドネシア……挙げていったら切りがありませんが、こういった国々のことを無視するのは、なぜ? 人でも国でも、静かにしているからといって、何も感じていなかったり何も考えていなかったり何も記憶していないわけではありません。きちんと「各国」を注視した方が良いのではないか、と私は感じています。

【ただいま読書中】『安全保障学入門』防衛大学校安全保障学研究会 編著、 亜紀書房、2003年、2500円(税別)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4750503010/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=767&creative=3999&creativeASIN=4750503010&link_code=as3&tag=m0kada-22
 「『安全保障』に明確な定義は存在しない」と断言するところから本書は始まります。これは困りました。人によって同じ言葉を言っても意味が違う可能性が大なのですから。
 国際政治学にはいくつも学派がありますが、それぞれが「安全保障」に違うことを言います。「リアリズム学派」は「国際システムはアナーキーで、軍事的な競争状態にある」から外敵から軍事力で安全を保証しようとします。「リベラリズム学派」は「軍事だけではなくて政治や経済など非軍事的側面も重視し国際協調で安全保障を」と主張します。「グローバリズム学派」は「地球全体を一つのシステムとして、国家を超越した立場でグローバルなシステムの確立を」と唱えます。
 冷戦時代のアメリカは、旧ソ連を「敵」としてリアリズム学派が主流でした。しかし冷戦終結によってアメリカの関心は非軍事的側面にも向くようになっています。あ、だから最近のアメリカは軍事面での下請けを日本にさせたいのかな。もちろん経済的・人的な問題もあるのでしょうが。
 自国だけを見ていたのでは安全保障にはなりません。国際政治の観点が必須です。国際安全保障体制は「覇権モデル」「勢力均衡モデル」「集団安全保障モデル」の3つ(とその亜型の「大国間協調モデル」「多国間協調モデル」)に分類されます。そういえば古代中国には「合従連衡」という「秦という超大国」を軸とした“国際”安全保障策がありましたっけ。「覇権モデル」は「帝国(または超大国)」を軸としたモデルです。「勢力均衡モデル」は複数の超大国あるいは列強のバランス重視。最後の「集団安全保障モデル」は、不当に武力を行使した国に対し他のすべての国が制裁を加えるシステムです。
 日本は超大国ではありません。すると日本の安全保障政策は、どこかの超大国にコバンザメのようにしがみつくか、あるいは集団安全保障モデルの一員として生きるか、のどちらかになりそうです。私としては集団安全保障が良いのではないか、と思えますが、もし本気でこのシステムで生きるのなら、たとえばアメリカがとち狂って理不尽な武力行使をどこかの国にしたら、他の国々と一致団結してアメリカに対して制裁を加えることになります。日本にその覚悟はあるのかな?


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