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2015年08月04日07:13

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天下泰平

 江戸時代は、島原の乱からあとは平和な時代でした。200年以上も平和が続いた国というのは、世界の歴史を見ても明らかに「異常」です。昭和21年から今まで平和国家だった日本は、江戸に続いて「異常な国」ということなのでしょうか。おっと、スイスなど平和な期間が現在の日本より長い国はいくつもありそうですから「世界で2番目に異常な国」とは言えないようですが。

【ただいま読書中】『天下泰平の時代』高埜利彦 著、 岩波新書1524、2015年、800円(税別)
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 近松門左衛門の「曽根崎心中」や「堀川波鼓」は、世間に広く知られた実際の心中や情死事件がベースとなっていて、大ヒットしました。ところが同じく実際に起きた事件ではあるものの舞台が中国の「国性爺合戦」もまた大ヒット。これは当時の庶民が、大陸で起きた「明から清への王朝交替」をよく知っていたからではないか、と著者は推測しています。
 明の滅亡・清の成立は、世界的な大事件でした。日本に関連する領域では、朝鮮・台湾・琉球・アイヌが大きな影響を受けています。それに対して日本も対策を立てる必要がありました。
 江戸時代初期、徳川政権は、武家・公家・宗門の統制を強化していました。目的は政権の安定。
 「戦国の遺風」を一掃するために幕府が行ったのは、力による弾圧でした。たとえば主君が没したときの殉死を強制的に禁止します。それに対する“抵抗勢力”の一つが「かぶき者」でした。家綱政権では、かぶき者の一斉検挙も行っています。また、旗本などのかぶき者に対抗していた町人の「町奴」も弾圧の対象となりました。「泰平の世」にふさわしい政策として「生類憐れみの令」も発せられました。庶民の評判は悪かったけれど、「法の精神」は「泰平の世」にふさわしいものでした。あまり知られていませんが生類憐れみの令とセットの法と言える「服忌令(ふっきれい)」(服喪期間や忌引きに関する細かい規定)も重要です。浅野内匠頭が松の廊下で起した刃傷沙汰が大問題となったのには、「刀を抜いた」「傷をつけた」もありますが、勅使と院使を迎えるべき神聖な時と場所を大量の血で穢した「服忌令」違反であったことも大きく作用したのだそうです。
 戦争による領地獲得が望めない時代には、平和的な経済成長が必要となります。たとえば新田開発や鉱山開発です。日本の生産力は着実に増加しました。それは商品経済の発展ももたらします。また、豊かな文化も花開きました。ただ「豊かな時代」を日本が長く享受することはできません。吉宗は構造改革を行い、田沼は金権政治。幕府は揺れます。幕府と朝廷の関係はぎくしゃくしています。そして、身分制度は揺らぎ始め、格差は拡大します。そして「黒船」がやってきました。
 江戸時代と昭和〜平成を重ねて見ることも可能か、と私は思います。平和な世の中が続くと文化は爛熟し経済の発展は格差拡大をもたらします。では、現代の「黒船」は何でしょう? 中国の脅威?またはイスラム国? そして日本はこれから「尊皇攘夷」になるのでしょうか?


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