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2015年05月31日07:49

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遺産の未来

 世界遺産と言いますが、文化遺産の場合それができた時にはそれまでにない「新しいもの」で、未来を指向していたはずです。そして、その未来志向が強いからこそ、現在まで存続できたものが多いはず。だったら「遺産」と呼んで「過去のもの扱い」するのではなくて「未来に向かっての人類の財産」と考えた方が良いのではないでしょうか。となると、「生活に不便」だから世界遺産に変更を加えたくなったときに、その変更が「現在の不便」だけではなくて「未来を指向しているかどうか」も考える必要がありそうです。

【ただいま読書中】『ペーターのドイツ世界遺産全踏破』ペーター・エンダーライン 著、 平凡社新書741、2014年、840円(税別)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4582857418/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=767&creative=3999&creativeASIN=4582857418&link_code=as3&tag=m0kada-22
 単なる観光案内ではなくて、世界遺産を古い順に見て回ることで「ドイツの歴史」を知ろうとする本です。
 ところが「ドイツ」って何でしょう? 古代ローマ時代には「ゲルマニア」です。中世前半はフランク王国で後半は神聖ローマ帝国(の一部)。近世はプロイセンが軸にはなりますが、日本の藩幕体制のような感じの小さな「国」の集まりで、近代はドイツ帝国やワイマール共和国。そして、現在の「ドイツ連邦共和国」は1990年に成立した“若い国”です。
 まずは「トイトブルクの森」。ヨーロッパ中に進軍していたローマ軍がこの森で大敗北を喫し、そのためライン川とドナウ川が“国境線”として確定しました。つまりこの森での戦いが現代の地球にも影響を残しているのです。
 1978年に世界遺産「第一号」として、文化遺産8件と自然遺産4件が登録されました。アーヘン大聖堂はその「第一号」に含まれています。この大聖堂は786年にカール大帝が建設を始めた王宮礼拝堂の聖マリア教会から始まっています。いわばフランク王国の歴史そのもの(+それ以後の歴史)です。ここで戴冠式を執り行った歴代のドイツ国王や神聖ローマ帝国皇帝は30人。カロリング朝の末裔でアリ古代ローマ帝国にまでその系譜を遡ることができる、という「ルーツ」の証明の場でもあったようです。神聖ローマ帝国を潤したゴスラーの銀山と水利システムも世界遺産となっています。日本だったら石見銀山を思い出しますね。
 プロイセンの事実上の首都だったポツダムには、世界遺産が集中しています。「ポツダムとベルリンの宮廷群と公園群」という名前ですが、つまりは「群」なのです。これは大変です。京都や奈良をまるごと一つの遺産として登録したようなものかな?
 ドイツには(2014年5月の時点で)38件の世界遺産があります。その数はフランスと並んで世界4位。これだけあったら、それをたどるだけでもドイツ史が見えてくる、という面白い企画でした。ここで私は我が国のことを思います。日本の世界遺産もこういった「日本史の流れ」「日本という国」の観点から見つめようとする動きがありましたっけ? 個人が勝手にやれば良いことなのかもしれませんが。ペーターさんに期待しようかな。
 ちなみに、本書をガイドブックにして大急ぎの駆け足でドイツ国内の世界遺産を見て回ったら、最短でも3週間は覚悟して欲しい、とのことです。ちょっと興味は持ったのですが、それでは楽しみよりは疲れしか残らない気がするし、と言ってたっぷりの時間は捻出できそうにないし、これは困りました。


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